44歳で退任→海外初挑戦 日本一2度、バスケ川崎・佐藤賢次前HCが人生の転機で大切にした感情

川崎への恩義、籍を置きながらの渡独を自ら提案
「これからどうするの?」
何気ない雑談の中でパトリックにそう問われた時、佐藤の胸にあったのは“外の世界”への憧憬だった。佐藤は明かす。
「大学卒業後、選手時代からずっとブレイブサンダースという組織に所属し、HCまで務めたことで、同じ場所にいることの窮屈さというか、自分の幅の狭さを痛感しました。もちろん、ずっと同じ組織にいるからこその強みもありますが、HCをやらないことになり、自分の良い部分と悪い部分を見つめ直した時に、『もっといろんな経験がしたい』『自分にないものをもっと吸収したい』という思いが一番大きかったんです」
佐藤は2016年、男子日本代表チームのACとしてセルビアで開催されたリオデジャネイロ五輪世界最終予選に参戦し、ヨーロッパの強豪国と日本の実力差を目の当たりにした。バスケットボールという競技に対する理解度、強度の高さ、状況判断の速さ……。何もかもが驚くほどに違っていた。
世界のバスケを知りたい。もっと日本のバスケットを前に進めたい――。そんな思いを抱くようになった佐藤は、川崎のHCに就任した際には「世界に伍するチームを」というビジョンを選手たちに説き、各国の代表経験を持つ外国籍選手を獲得した。その挑戦は残念ながら志半ばで途絶えることになったが、世界への思いは依然として胸の中に残り続けた。
パトリックにそのような想いを伝えると、数日後、再び連絡が来た。
「ドイツで一緒にやらないか?」
パトリックはドイツに戻り、ルートヴィヒスブルクのHCに就任することが決まっていた。
ドイツは2023年のFIBAワールドカップで初優勝を飾り、NBAとユーロリーグ、世界の2大リーグに多くの優秀な選手を送り出しているバスケ大国。「どうやったらあんなに大きい選手が、あんなに早い状況判断の中でプレーできるんだろう」とかねて考えていた佐藤にとっては、願ってもないオファーだった。「行きます」と即答したい気持ちをこらえ、「本当にその覚悟があるのか」と自問自答し、妻とクラブに相談すると、いずれも佐藤の挑戦を快く受け止めてくれた。
佐藤は、川崎の運営元である株式会社DeNA川崎ブレイブサンダースに籍を置きながらルートヴィヒスブルクでACを務めるという、いうなれば出向のような形で渡独している。佐藤自らが提案した「日本のバスケ界では初めてじゃないか」という手法の背景には、22年にわたって在籍した組織への愛情と恩義がある。
「海外に挑戦したいという思いと同じくらい、このクラブの発展に貢献したいという思いがありました。(クラブの前身にあたる)東芝時代からの伝統を繋いでいく北さん(北卓也GM)とは違う角度でクラブを発展させていくために、これから僕がやっていくことは絶対生きる。海外でこういう経験ができれば、こういうフィードバックができて、クラブにとってこういう良いことがある、という思いを伝えさせていただき、それを受け入れてもらった形です」