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22歳で戦力外通告、3日後にもう就活 元ロッテ選手がこんなに潔く現役を諦められた理由

引退後に待ち受けていた「人生で一番楽しかった」就職活動

 最終年となった18年。飛躍を期待される他の選手が2月の春季キャンプで1軍に名を連ねる中、肘井さんは2軍スタート。以降、試合で成績を残しても1軍から声はかからなかった。2軍の試合でも出番が徐々に減少し「これは今年で終わり(戦力外)なんだ」と勘づいた。終盤に向かうにつれ、絶対に誰かのせいにして終わりたくはないと考えるようになった。

「仮に僕が10割打てば、来季クビにしようと思っていても1軍に呼ばれるわけなので。10割打てない『自分のせい』で終わりたいというのがありました。『あの時、もっとやっておけば変わったんじゃないか』と思いたくなかった。だから最後は一番苦しい、怪我した時よりしんどい最後でした」

 できることは全てやったという自負がある。それでも1軍に昇格できなかったのは、他の選手の調子や成績、球団の育成方針など、外的要因を全て凌駕するほどの成績を残せなかった「自分のせい」。そう思えたから、戦力外通告を受けて「ある意味、ホッとしました。この苦しいシーズンがもう1年続いてたら、相当キツいと思っていたので。若いからこそ(野球選手以外の道を探すのは)今だなと思った」という。

 ドラフト指名を受けた時から「3年やって全くダメなら、サラリーマンとしてトップを目指そう」と考えていた。戦力外となり、ロッテを含むNPBの球団から裏方としての仕事オファーもあったが、全て断りを入れた。通告から3日後にはスーツを着て、就職活動を始めた。

 後援会やイベントで世話になった知人や球界OBから紹介された企業関係者とは積極的に面会。それ以外にも、魅力を感じた企業には自ら履歴書、エントリーシートを送付した。自動車販売、保険、人材派遣、不動産、芸能関係など幅広い業種に興味を持ち、約1か月半の間でコンタクトを取った企業数は32。実際に面接などを受けた数も約20社に上る。自分でスケジュールを決めて動くことが新鮮で「人生で一番楽しい期間だった」と振り返る。

 有名大学を出ているわけでもなく、当時はパソコンを使用した作業もまともにできなかった。野球選手としての知名度も高いわけではない。企業側には「どうして自分を必要としてくれるんですか?」と必ず尋ねた。返ってくる答えは、どれもほぼ同じものだった。

 打席での結果を分析し、課題をもって練習に励み、次の打席に立つ。プロ野球選手にはPlan、Do、Check、Actionの「PDCAサイクル」が身に着いているということだった。「これを知っている選手はどれくらいいるんだろう」。企業から戦力になると考えられていることを、同じ境遇にある他の選手に伝えたいという気持ちが芽生えた。

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