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決勝で敗れて表彰式欠席…「金メダル以外は負け」日本人の意識変えた特別な五輪、今は“色”だけではない

明らかにメダルへの意識が変わったのはロンドン大会

 明らかにメダルへの意識が変わったのは、12年ロンドン大会だったように思う。日本選手団の目標は「金メダル15個」。ところが。柔道の不振もあって目標達成は大ピンチ。当時全日本柔道連盟会長で、日本選手団の団長を務めていた上村春樹氏は恒例の選手団中間報告会見を前に頭をかかえていたという。

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 この大会の日本選手団には使命があった。東日本大震災の被災者を励まし、復興を後押しすること、20年東京への五輪招致ムードを高めること。そのために「元気がない日本」は許されない。そこで、上村団長は「金メダル数」を捨てて、大きく方針を変更した。

 中間報告のテーマは「メダル総数」。銀と銅を含めて「過去最多のメダル獲得ペース」を強調した。選手団本部員のアドバイスによるものと言われるが、これが大成功。金メダル数は目標の半数にも届かない7個だったが、メダル数は史上最多の38個に達した。

 国内では「五輪パレード」の準備が進んでいた。大きな目的は、東京五輪招致の機運を高めること。メダリストの銀座パレードには50万人が集まり、五輪ムードに沸いた。「金メダル」から「メダル」への方針変更で、ロンドン五輪は多くの人の心に残る大会になった。

 競泳松田丈志の「(北島)康介さんを手ぶらで帰すわけには」も効いた。「手ぶらで」は多くの選手に影響を与え、今大会でも「手ぶらで帰れない」とメダルを喜ぶ選手がいた。銀メダルも、銅メダルも、時には金以上の輝きを放つ。「金メダル至上主義」では許されなかったことが、今のスポーツ界では常識になっている。

 レスリングの須崎優衣は素晴らしかった。国内大会では苦しんだこともある須崎だが、世界大会では年代別も含め手にしたメダルはすべて金。それでも、初めての敗戦から立ち直って手にした銅メダルには価値がある。金メダルに囲まれても、輝きでは負けないはずだ。

 家族や応援している人、支える人たち、そしてファンが求めているのは、メダルの色だけではない。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)


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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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