44歳現役スプリンターが今も走り続ける理由 年齢を重ね、手に入れた「メダルより価値のある哲学」――陸上・末續慎吾
44歳になった今も「まだ速く走れる」から引退しない
北京五輪が終わると、3年間の休養を挟んだ後の2011年10月にレース復帰。2012年ロンドン五輪出場を目指したが、叶わなかった。
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しかし、その頃には走る目的が変わっていた。結果が出なくても、必要以上に自分を責めることもしなくて済んだ。「だんだんと道が変わっていった」のである。
2015年には所属していたミズノを退社し、プロの陸上選手として活動をスタートさせた。2016年4月1日付で星槎大学の特任准教授に就任し、2018年からは走ることへの世界観を表現した「EAGLERUN」を起ち上げ、選手を続ける傍らで指導やメディア出演などの活動を行っている。
「引退」の二文字を使う予定は、今のところない。理由は至ってシンプルだ。
「まだ速く走れる。それのみです。まだ速く走れるし、速く走りたい。44歳になった自分がこれもできるようになったなと思えるのならば、やめる理由にはなりません。五輪を目指すことよりも、そう思ってグラウンドに立って100分の1秒速く走る。そうすると終わったあとに飲むビールの旨さがまったく違うわけです(笑)」
生ビールのサーバーか、缶ビールの蓋を開ける音か、どちらにしても至福の瞬間を楽しんでいる様子が目に浮かぶ。
末續が2003年に200メートルで記録した20秒03は、20年以上経った現在も日本記録として刻まれている。これ以上ないアイデンティティとも言えるが、本人にはそのつもりが一切ない。
「客観的に見て、最速と最強という称号を手に入れたのかもしれません。それがあれば生きていけるかというと、そうではない。
43歳のラストレースで出した記録は追い風参考だったけれど、来年もその記録で走れば年代別の世界記録になる。それでも、ここをこうすれば良かったなと思う自分がいる。それほど難しいことではなくて、でもずっと続けられないから人はやめていくわけです。周りからどう見られるか、外側に答えを求めてしまうのが人間だから。
僕は違います。人から与えられるものは何もほしくない。走っている自分を満たすことができれば、それでいい。メダルよりも価値のある感覚や哲学を獲得できました」
求める理想や究極の形が違うのだから、比べるべくもない。
パリ五輪にはこれからの短距離界を背負う選手たちが出場する。100メートルを9秒台で走る選手もいる。短距離界の先頭グループを形成する彼らの走りをどのように感じ、何を期待するのか。
「時代に逆行した言い方かもしれないけれど、今の選手は進化していません。進化を促したのは、僕よりも10歳年上の伊東浩司さんです。伊東さんは『膝を上げる』から『膝を上げない』に走法を変えた。みんなが向いているものを逆に促して、100メートルを10秒00で走った。まさにパラダイムシフトで、すべてをひっくり返した人です。我々は伊東さんがひっくり返したものの中に生きて、練習を重ねて、道具や情報の進化があって、今日に至る。だから進化ではなく、進歩のほうが表現としては正しいと思います」