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公文の子供机で学んだ日本語 ブラジル代表を蹴った“砂の日本代表10番”異端の半生

「THE ANSWER」のインタビューに応じ、自身の半生を語った茂怜羅オズ【写真:岩本健吾】
「THE ANSWER」のインタビューに応じ、自身の半生を語った茂怜羅オズ【写真:岩本健吾】

公文に志願し子供机で勉強「自分じゃ座れないくらい。でも字が綺麗になるために…」

 納豆も好物になったという茂怜羅。そして、来日2年目を迎えると、一つの気持ちが芽生え始める。「日本人になりたい」と――。ただ、それには当然、覚悟も伴った。

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「正直、日本のレベルにはビックリした。ブラジル、ドイツのレベルは高かったけど、日本は競技自体が始まったばかり。慣れてなくて、基礎のトレーニングもできないくらい。大変だったけど、みんなの毎日の頑張り、気持ちを見て、一緒に頑張りたいなと。ブラジル代表からオファーもあったけど、それを全部断って、日本人になりたいと思ったので。

 いつか日本代表に入って、W杯でプレーして日本のビーチサッカーも盛り上げたい。そういう気持ちを持って、助けてくれた周りの人たちに恩返ししたかった。ブラジル代表に入れば、W杯だって何回も絶対優勝できるということは思ったけど、自分がビーチサッカーを選んだ理由と一緒。自分が幸せなものでいいかなと思った。だから、日本人になろうと」

 ビーチサッカーの世界的強豪である母国から何度も誘いがあった。しかし、それ以上に青いユニホームを着て、W杯に出たいという思いが上回った。すべては支えてくれた人に感謝するため。だから、日本人になるための努力も怠らなかった。

 翌年にチームが東京に移り、環境が一変した。沖縄では通訳がいたため、日本語は未熟だった。東京は周囲にブラジル人もおらず、自力で勉強するしかなかった。帰化には在留5年以上が条件にあり、日本語の学科試験と面接試験をパスしないといけない。5年になるまで3年間をかけて勉強しよう。心に決めたら、あとは行動あるのみだった。

「当時住んでいた水道橋にシビックセンターがあって、2時間200円でボランティアが教えてくれる日本語教室があった。週3回は通った。あとは『公文』です。近所にあって自分で掛け合って通った。小学生と幼稚園のクラスしかなくて、部屋も狭く、机も子供用しかなくて、自分じゃ座れないくらいです(笑)。でも、字が綺麗になるためにやりたいと思った」

 身長190センチの大男が幼児教室で日本語を勉強する。ある意味、滑稽な風景である。しかし、すべては日本代表のユニホームを着て、夢のW杯に立つため。だから、苦にならなかった。

「一番難しいのは敬語かな。でも、日本人になりたくてやっているから、大変というより楽しかった。そこまではいつも隣にブラジル人、チームメートがいて、困った時に手伝ってくれたから。一人でも何でもやってみればいい。病院とか買い物とか、わからなくても、実際やってみた方が勉強になると思ってやっていた」

 そして、3年間の努力の甲斐あって、運命の日が訪れる。聞くと、ソラで「2012年の12月12日です」と言った。帰化申請が認められ、晴れて日本人になった日だ。

「夢が叶ったという気持ち。プロサッカー選手になった時と同じように、2012年12月12日は自分の中で誕生日より大事な日。電話をもらって『日本人になれました。おめでとうございます』と言われた時はうれしすぎて何をしていいか分からないくらい。すぐにブラジルの家族に電話して、すごく喜んでもらった。日本人になれてすごく幸せです」

 こうして「モレイラ・オズ」は「茂怜羅オズ」となった。

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