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ストイコビッチの美技が「人生を変えた」 引退から22年、Jリーグ名古屋に残した記念碑以上の痕跡

サッカー・Jリーグは今年、開幕30周年を迎えた。国内初のプロサッカーリーグとして発足、数々の名勝負やスター選手を生み出しながら成長し、1993年に10クラブでスタートしたリーグは、今や3部制となり41都道府県の60クラブが参加するまでになった。この30年で日本サッカーのレベルが向上したのはもちろん、「Jリーグ百年構想」の理念の下に各クラブが地域密着を実現。ホームタウンの住民・行政・企業が三位一体となり、これまでプロスポーツが存在しなかった地域の風景も確実に変えてきた。

今季のJ1では上位に食い込んでいる名古屋グランパス。しかし今回の取材のテーマは「ピクシーの痕跡を求める旅」であった【写真:宇都宮徹壱】
今季のJ1では上位に食い込んでいる名古屋グランパス。しかし今回の取材のテーマは「ピクシーの痕跡を求める旅」であった【写真:宇都宮徹壱】

連載・地方創生から見た「Jリーグ30周年」第7回、名古屋・岐阜【前編】

 サッカー・Jリーグは今年、開幕30周年を迎えた。国内初のプロサッカーリーグとして発足、数々の名勝負やスター選手を生み出しながら成長し、1993年に10クラブでスタートしたリーグは、今や3部制となり41都道府県の60クラブが参加するまでになった。この30年で日本サッカーのレベルが向上したのはもちろん、「Jリーグ百年構想」の理念の下に各クラブが地域密着を実現。ホームタウンの住民・行政・企業が三位一体となり、これまでプロスポーツが存在しなかった地域の風景も確実に変えてきた。

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 長年にわたって全国津々浦々のクラブを取材してきた写真家でノンフィクションライターの宇都宮徹壱氏が、2023年という節目の年にピッチ内だけに限らない価値を探し求めていく連載、「地方創生から見た『Jリーグ30周年』」。第7回は名古屋と岐阜を訪問。前編では1993年のJリーグ発足から参戦する「オリジナル10」の名古屋グランパスで、Jリーグ史上最も輝いた最強助っ人であり、優勝監督にもなったドラガン・ストイコビッチ氏の姿を追った。(取材・文=宇都宮 徹壱)

 ◇ ◇ ◇

 終わってみれば、名古屋グランパスの快勝だった。

 7月1日、ホームの豊田スタジアムで開催された、J1リーグ第19節の川崎フロンターレ戦。今季はなかなか上位に食い込めないものの、それでも川崎が強豪であることに変わりはない。去年も一昨年も、名古屋はホームで川崎に勝利していなかった。この日は、キャスパー・ユンカー(41分)と和泉竜司(64分)のゴールで2-0の勝利。名古屋はアウェーでも2-1で勝利しており、川崎に2勝したのは2011年以来となる。この結果、名古屋は3位をキープした。

「やっぱりピクシーには会えなかったか……」

 小雨が降る中、スタジアムから豊田市駅へ歩きながら、ふとそんなことを考える。今回の名古屋取材は「ピクシーの痕跡を求める旅」でもあった。「ピクシーゲート」と呼ばれる、豊田スタジアムのN10ゲートにも行ってみた。けれども、現役時代にゴールを決めた時のシルエットが描かれているだけで、イメージしていたものとの違いには「残念」の一言だった。

 選手として、そして監督として、名古屋グランパスのレジェンドである「ピクシー」ことドラガン・ストイコビッチ。元ユーゴスラビア代表のキャプテンで10番をつけていた男は、1994年から2001年まで名古屋でプレーし、そのまま36歳で現役引退している。その後、2008年から13年までの6シーズン、クラブ初のOB監督として迎えられた。そして2010年には、名古屋を初の(そして唯一の)J1優勝に導いている。

 日本で現役生活を終えて、すでに22年。今の若いサッカーファンに「当時のピクシーはイニエスタよりもインパクトがあった」と言っても、信じてもらえないだろう。確かに来日当初の注目度は、間違いなくイニエスタのほうがあり、ピクシーの来日時は実にひっそりとしたものであった。しかし1995年、アーセン・ベンゲルが名古屋の監督に就任すると、彼は全盛期のポテンシャルを取り戻し、Jリーグきっての外国籍選手として脚光を浴びる。

「ピクシーの第一印象ですか? 全身ベルサーチだったのは覚えています(笑)。あれほど凄い選手だとは、最初は思わなかったですね」

 そう語るのは、当時のチームメイトで元日本代表の森山泰行である。しかし一緒にトレーニングをしているうちに、稀代のスーパーサブは、ピクシーの異能ぶりに気づくこととなる。

「1対1で『取れた!』と思ったら、次の瞬間にボールが消えているんですよ。ボールを切り返す時って、日本人は足首を固定して角度をつけるじゃないですか。ピクシーは『切り返す時、足首の力を抜くんだ』って、訳の分からないことを言うんですよね(笑)。我々とは違う感覚に磨きをかけて、この人はプロになったんだなって痛感しました」

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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