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Jリーガーが農業で地域貢献 解散危機あった福島ユナイテッドFC、震災復興で生まれた絆

3つのJクラブを渡り歩いてきた竹鼻快氏(中央)。福島のJ3昇格のタイミングで「農業部」を立ち上げた【写真:宇都宮徹壱】
3つのJクラブを渡り歩いてきた竹鼻快氏(中央)。福島のJ3昇格のタイミングで「農業部」を立ち上げた【写真:宇都宮徹壱】

福島ユナイテッドFCが「農業部」を始めた理由

「湘南で6年、鳥取で5年、そして福島が11年ですよ。自分でも、こんなに長くなるとは思わなかったですよね」

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 苦笑しながらそう語るのは、竹鼻快。2021年まで福島のGMを務めていた、47歳である。大学卒業後の2000年、当時では珍しいプロパー採用で湘南ベルマーレに入社。親会社だったフジタが撤退した直後だったため、竹鼻は運営や営業や強化のみならず「焼きそばの焼き方まで」ありとあらゆるクラブの仕事をたたき込まれる。

 しかし竹鼻は、そこでの栄達を望まなかった。2007年には湘南を飛び出し、縁もゆかりもなかった鳥取に向かい、当時JFLだったガイナーレ鳥取のGMに就任する。目的は2つ。すなわち「国内最年少(当時30歳)のGMになること」、そして「最も人口が少ない県でJクラブを誕生させること」だった。

 これを2012年に実現させると、何ら未練を残すことなく、今度は当時東北リーグ1部だった福島ユナイテッドFCのクラブダイレクター(のちGM)に就任。この年の全国地域サッカー決勝大会で、福島は2位でフィニッシュしてJFL昇格を果たす。そして2014年にJ3が創設されると、福島もこれに加わり、ついに県内初のJクラブが誕生した。

「こっちに来た2012年は、駅前にも放射能測定器があったし、あちこちで除染作業が行われていたし、広場や公園には仮設住宅がありました。そんな状況もあったから、原発事故の風評被害を払拭するために始めたのが『農業部』でした」

 竹鼻が、数多いるGMと明白に異なるのは、専門領域がトップチームの強化だけにとどまらなかったことだ。クラブ内で立ち上げた農業部は、その真骨頂と言える。

 もともと福島県は、桃やリンゴや梨やブドウといった果物、さらには野菜や米などを産出する農業県として知られている。これら農産物をクラブがアピールし、さらに竹鼻の古巣である湘南をはじめ、関東のJ1クラブのホームゲームでも販売。すると農業事業は、チケットやグッズと並ぶクラブの収入の柱となっていった。

「選手が農作業に関わるというのは、当時としては画期的な試みでした。『そんな時間があるなら練習しろ!』という声もありましたけど、農家の方たちから応援していただけるようになりましたし、2021年のシャレン!アウォーズでも、僕らのやってきたことが評価されてパブリック賞をいただきました。賞金は出なかったですが(笑)、受賞の盾はたくさんもらえたので、農家の皆さんに一軒ずつお配りしましたね」

 当初は「風評被害の払拭」から始まった農業部の活動だが、時代とともに、最近は「福島の魅力発信」というスタンスに移行している。関東での出品についても「福島を応援する」から「美味しかったからまた食べたい」が主流になりつつあるそうだ。

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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