三笘薫を日本屈指のドリブラーにした筑波大の4年間 進化を加速させた2つの変化
「スピードを落とす」ことを意識
ただ、フィジカルだけが躍進の要因ではない。大学2年時には天皇杯に出場し、ベスト16に進出する原動力となったが、このあたりから“ある部分”を意識するようになった。そして天皇杯でJクラブと対戦した際に、三笘は自身のドリブルの課題と改善点について以下のように言及していた。
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「ちょっとスピードを上げすぎちゃうところがある。それだと相手がまだ見えていないですし、もう少し冷静にスピードを“下げて”から仕掛けないと、プロではやっていけないなとは思いました」
確かに、この時期あたりから意図的にスピードを落としたり、止まって様子を窺いながら仕掛ける場面が増えたようにも思える。プロで活躍する素地が整ったのは、この大学2年から3年にかけての時期で間違いなさそうだ。
大学に入り強度の高い相手と対峙する機会が増え、フィジカル面の強化の重要性に気づいた。そして、天皇杯という舞台でプロ選手と相まみえたことで自身のドリブルの弱点を見つけ、どう改善するかについて思考を巡らせた。
大学時代のこれらの経験が、三笘を日本屈指のドリブラーに育て上げたことは間違いない。
(竹中 玲央奈 / Reona Takenaka)