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パラ競技に広まるアスリート雇用 証券会社に勤める車いすラグビー元日本代表の願い

2021年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されたことで、日本ではこれまで以上にパラスポーツが身近な存在として受け止められている。オリンピック同様に無観客開催ではあったが、大会が地上波で生中継されるなどメディアでの露出が増え、何よりも日本代表が金13、銀15、銅23の計51個のメダルを獲得する大躍進を披露。観る者に大きな感動を与えた。

日本パラリンピック委員会でアスリート委員会委員長を務める車いすラグビー元日本代表の三阪洋行さん【写真:荒川祐史】
日本パラリンピック委員会でアスリート委員会委員長を務める車いすラグビー元日本代表の三阪洋行さん【写真:荒川祐史】

日本パラリンピック委員会・アスリート委員会委員長の三阪さん

 2021年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されたことで、日本ではこれまで以上にパラスポーツが身近な存在として受け止められている。オリンピック同様に無観客開催ではあったが、大会が地上波で生中継されるなどメディアでの露出が増え、何よりも日本代表が金13、銀15、銅23の計51個のメダルを獲得する大躍進を披露。観る者に大きな感動を与えた。

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 大会後は「自分もパラスポーツに挑戦してみたい」という人々が増え、日本パラリンピック委員会などが主催する『J-STARプロジェクト』という選手発掘プログラムへの応募は倍増したという。同時にパラリンピック出場を目指す時、アスリートはどのようなキャリア形成ができるのか、知りたい人も多いだろう。日本パラリンピック委員会でアスリート委員会委員長を務める、車いすラグビー元日本代表の三阪洋行さん(バークレイズ証券)がアスリート雇用という道を選んだ自身の経験を踏まえながら語ってくれた。

 三阪さんは、2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンとパラリンピックは3大会に出場し、ロンドンでは副将として4位入賞に貢献。引退後は日本代表のアシスタントコーチを務め、2016年リオデジャネイロでの銅メダル獲得をサポートした。

 高校3年の時、ラグビーの練習中に首の骨を折って下半身不随となったが、翌2000年から車いすラグビーをスタート。高校卒業後にはニュージーランドにラグビー留学を果たし、帰国後に日本代表チームに加わった。現在勤務するバークレイズ証券に入社したのは2011年4月のこと。車いすラグビーの活動を週に3~4回行いながら、業務の一環として障害に関する社会の認知を広める活動を行っている。

「僕はアスリート雇用なので、いわゆる会社での仕事の他に、練習などスポーツに関する活動も業務の1つとして認められています。また、様々な背景を持つ人々が活躍できる職場環境を考える取り組みの中で、障害について考える『REACH』という活動に携わり、社内外にかかわらず広く社会に障害について理解を深める発信もしています。社内には僕の他にも障害者がいて、健常の社員に車いす体験をしてもらったり、目隠しをして街を歩く視覚障害体験をしてもらったり。おかげで社員の障害に対する認知度も上がりましたし、『電車で障害がある方にスムーズに声を掛けられました』という声が届くなどアウェアネスが広がっている実感もあります」

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