高木美帆は「100年に一度の選手」 高校から年60レース、未来が見えていた天才の凄さ
「勝ち負けじゃない」自らの理想の滑りを追求
「私もそう思ったし、連盟の方からもそう言われることもありました。だから美帆に『いろいろやりたいのは分かるけど、短距離、中距離、長距離のどれかに絞ってみよう』と聞いたんです。そうしたら『(日程面で)物理的に可能であれば全部出たい』と。『どうして?』と聞いたら、『今からやっておかないと、タフにならないとダメなんです』と言うんです。私は凡人だから、“今から”ってどういう意味なんだろうと、その時は分からなかったけど、平昌五輪や現在の状況を見れば、なるほどなと。少し大袈裟かもしれませんが、美帆には未来が見えていたんでしょうね。天才的な人間というのは、そうなのかなって」
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国内トップレベルの選手が、通常は年間で20~30レースに絞るところを、高木は高校の3年間、ずっと1年で50~60レースを滑っていた。過密日程での連戦や、海外遠征直後の時差ぼけがあるような状況でのレースになれば、当然パフォーマンスは落ちる。それでも「勝ち負けじゃない」と平然と語り、自らの理想を追求し続けた。
「本質的なところは変わっていない」と東出さんは現在の高木の滑りを見ているが、オールラウンダーとして世界の第一線で戦い続けたことで、高校時代とは比較にならないほどの“パワー”を得たと語る。
「車にたとえるなら、高校に入った頃は高性能だけど排気量の少ないコンパクトカー。それは高校生だから当然。そこから本当に少しずつ少しずつ排気量を増やして、車体も足回りもタイヤも大きくなった。今はもう世界で1、2を争うような排気量を誇るスーパーカーっていう感じに見えるよね」
10代の頃から理想の滑りを追求し続けてきた高木は、3度目の出場となった今回の北京五輪で、13日間で7本のレースに挑んだ。2つ目の種目となった7日の1500メートルは世界記録(1分49秒83)を持っており、最も金メダルに近いとされたが2大会連続の銀メダルとなり、13日の500メートルでは逆に会心の滑りで銀メダル。そして15日の団体パシュート決勝では、姉・高木菜那の転倒もあって2大会連続の金メダルを逃していた。
そうした悔しさを経て迎えた17日の1000メートルで、五輪新記録となる完璧な滑りを披露。ゴール直後に歓喜のガッツポーズを見せ、その後、個人種目で初の金メダル獲得が決まると、ヨハン・デビットコーチと抱き合い涙を流した。