世界大会で5度優勝 スケートボード界の第一人者・瀬尻稜が東京五輪を目指さない理由
東京オリンピックから正式競技に採用され、大きな注目を集めているスケートボード。ストリート種目、パーク種目ではいずれも、日本人スケーターが世界トップを争い、旋風を巻き起こしている。今では国際大会で表彰台に立つ日本人選手の姿は見慣れたものとなったが、ほんの数年前までは考えられない光景だった。
11歳で日本トップ “天才スケーター”が追求するスケートボードの真髄
東京オリンピックから正式競技に採用され、大きな注目を集めているスケートボード。ストリート種目、パーク種目ではいずれも、日本人スケーターが世界トップを争い、旋風を巻き起こしている。今では国際大会で表彰台に立つ日本人選手の姿は見慣れたものとなったが、ほんの数年前までは考えられない光景だった。
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日本にも“ヤバイ”スケーターがいる。そう世界に認知させるきっかけを作ったのは、23歳のプロスケートボーダー、瀬尻稜だ。2013年、当時17歳だった瀬尻はチェコで開催されたワールドカップで日本人初優勝を達成。さらに、2015年にはスケートボード世界最高峰の大会とも称される「Street League」に日本人として初出場し、これまで世界大会では5度の優勝経験を誇る。
サーファーだった父を通じて、スケートボードに出会ったのが幼稚園の頃。滑ることの楽しさに魅せられた瀬尻は、父の熱心な指導もあり、小学生の頃には出場するアマチュア大会で軒並み優勝。わずか11歳で日本スケートボード協会のプロクラスグランドチャンピオンに輝き、天才スケーターとして話題になった。この頃から海外の大会にも出場し始め、これまでの入賞歴は限りない。かつては大会で勝つことに重きを置いていた瀬尻だが、今では自身のスキル、スタイル、クリエイティビティの随が詰まった「ビデオパート」の制作に情熱を注いでいる。
「スケーターはみんな、ビデオパートを作ることにほぼ100%懸けてますよ。元々、スケートボードってビデオパートが全てだったんです。大きな賞金が出るような大会はなかったし、あったとしても自分の名前を売るだけの場所。いろんな場所からスケーターが集まるから、いろんなヤツと顔を合わせて、みんなで滑ろうっていうのが大会。言ってみれば、その1日だけの遊びの場みたいな感じで。それ以外の時は、自分の地元で好きなカメラマンと撮影して映像を作っていたんですよ。
ビデオパートは、映像にしたら2、3秒しかない1個の技を、丸一日かけて体を張ってボロボロにしながら撮る。これを何日も何日も、時には数年かけて、ようやく1つのビデオパートが完成するんです。スケーターはそこに命を懸けているし、その映像を見た人が『コイツはこういうスケボーをするんだ。イケてるな』って評価してくれる。自分は元々ビデオパートを見るのが好きだったのもあるし、中学3年生の頃に仲良くなったカメラマンが、いろんなストリートのスポットに連れていってくれたこともあって、その頃から映像をいっぱい撮り始めました」
撮影を始めると、ますますスケートボードの楽しさに引き込まれた。ビデオパートの撮影舞台となるのは普通の街中=ストリート。日常風景の中に何気なくある階段や手すり、ベンチや縁石などを滑りながら、スケーターはそれぞれオリジナリティー溢れるトリックやスキルを披露する。街が持つ特徴や表情は千差万別で、全く同じシチュエーションに出会うことはない。時には大きなチャレンジともなるが、「パークはスケボー用に作られた施設で、そこでできることは限られる。でも、ストリートって無限の可能性があって、それがムチャクチャ面白い」と、うれしそうに笑う。