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「4年間で燃え尽きないように…」 中央大・藤原正和監督の駅伝指導と現役時代の教訓

自身の指導方針や恩師から受けた影響について語った中央大の藤原正和監督【写真:編集部】
自身の指導方針や恩師から受けた影響について語った中央大の藤原正和監督【写真:編集部】

高校の恩師から教わった人間力で優位に立つ大切さ

 16年に中央大の監督に就任した時は、ホンダでの現役生活を引退した直後だった。指導経験がない中、本を読み、知識を蓄え、指導者から影響を受けたものが、監督業をスタートする際に活かされたという。

――選手時代に指導で影響を受けた方はいますか。

「大きく影響を受けた方は2人いて、1人は西脇工業高校陸上部の前監督である渡辺公二先生です。甘ちゃんだった自分が挨拶、時間を守る、場を清めるという社会に出て生きていくなかで当たり前に必要なことを徹底して教えていただきました。今、自分自身が監督という立場になって、改めてそういうことができないと社会では通用しないということを実感しています」

――高校時代の監督の影響力は大きいですね。

「先生からは『高1の時は高2の、高2の時は高3の、高3の時は大学1、2年の精神年齢でいなさい。高校生だと競技力はそれほど変わらないから、人間力とか人間性で優位に立ちなさい。精神面で優位に立てれば、レースでゆとりが生まれるし、この年代なら相手に負けないレースができる』とよく言われました。あとは、同じような練習をしていれば最後は勝ちたい、メダルを獲りたいと、どのくらい本気で思えるか。最後は気持ちという部分を高校時代に育ててもらいました」

――1998年の第49回都大路(全国高校駅伝)では2区を走り、優勝しています。

「それもいい経験でした。西脇工高では選手たちで区間配置を決めるんです。私は3年の時、キャプテンだったんですけど、アンカーをやりたかった。でも、2区は繋ぎ区間だけどすごく大事で、前年優勝時のキャプテンも2区を走っている。チームが勝つためには、どうしたらいいか、どういうところで相手より優位に立つか、そういうのを常に考える癖はその時に身についたと思います。そういう思考回路に至ったのは、高校の時のそういう体験があったからです」

――もう1人、影響を受けた指導者は誰になるでしょうか。

「ホンダ陸上部監督の小川智さんです。小川さんは、僕が中央大に入学した時の4年生で、当時は4年生が練習メニューを作っていました。僕はドラフトで言うと最下位で中央大に入ったんですけど、そのメニューですごく成長させてもらいました。この人についていきたいと思えた1年目でしたね。ホンダを選んだのも、小川さんがいたからです。13年間一緒にやらせていただいたなかで、よく言い合いをしましたし、五輪には行けなかったですけど、モスクワ、北京と2度、世界選手権に連れていっていただきました。選手との接し方とか距離感は、小川さんから多くを学びましたね」

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藤原 正和

中央大 陸上競技部 駅伝監督 
1981年生まれ、兵庫県出身。現役時代は中央大の中心選手として箱根駅伝などで活躍。2001年ユニバーシアード北京大会の男子ハーフマラソンで金メダルを獲得した。03年のびわ湖毎日マラソンでは日本人トップの3位入賞、2時間08分12秒のタイムは初マラソン日本最高記録とマラソン日本学生最高記録となっている。卒業後はホンダに入社。世界陸上の男子マラソンに2度出場するなどの実績を残し、16年に現役を引退すると中央大の駅伝監督に就任した。同年の箱根駅伝出場を逃すなど苦しい時も過ごしたが、着実にチームを強化。今年度は3大駅伝にフル参戦し、出雲駅伝3位、全日本大学駅伝7位の成績を引っ提げて箱根路に挑む。

佐藤 俊

1963年生まれ。青山学院大学経営学部を卒業後、出版社勤務を経て1993年にフリーランスとして独立。W杯や五輪を現地取材するなどサッカーを中心に追いながら、大学駅伝などの陸上競技や卓球、伝統芸能まで幅広く執筆する。『箱根0区を駆ける者たち』(幻冬舎)、『学ぶ人 宮本恒靖』(文藝春秋)、『越境フットボーラー』(角川書店)、『箱根奪取』(集英社)など著書多数。2019年からは自ら本格的にマラソンを始め、記録更新を追い求めている。

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