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17歳でサッカーを始めブラジルへ 「リフティングができない」日本人が見た“本物の技術”

檜垣裕志がサッカーを始めたのは17歳と極端に遅かった【写真:加部究】
檜垣裕志がサッカーを始めたのは17歳と極端に遅かった【写真:加部究】

ブラジル人の技術の高さを目の当たりにして発想を変える

「ユースのチームメイトにデネルというロナウジーニョやロビーニョが憧れた選手がいました。ある時、左からクロスを上げる練習があったのですが、右利きのデネルは必ず得意な足に持ち替える。それでも誰も“早く蹴れ”とは注意しないんです。結局ブラジルで要求されるのは精度です。慌てて質の落ちるボールを蹴るより、攻撃が遅れてもボールを持っていれば、またいくらでもチャンスは作れるという考え方なんですよね」

 同年代には右利きのジネイがいたし、ポルトゲーザで同期入団した選手の中には、後にブラジル代表で活躍する左利きのゼ・ロベルトもいたが、二人とも不得意な方の足はまったく使えなかった。

「ブラジルへ行って2年目のことです。交通事故で片足の膝から下を失ってしまった人が、街中で松葉杖をつきながら腿だけでリフティングを見せてお金を集めていました」

 こうした現実を見つめ、檜垣は発想を変えた。

「それからは利き足に集中して技術の精度を高めることにしました。自分でも変われたな、と思った時に、プロテストのチャンスが巡ってきた。その時はプロになれる確信がありました」

 ブラジルへ渡って3年目で、檜垣はポルトゲーザとプロ契約を交わす。サッカーを始めて、まだ6年目のことだった。

(文中敬称略)

(加部 究 / Kiwamu Kabe)

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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