加部 究の記事一覧
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100mを「3か月で1秒」短縮 “世界最速”ボルトと練習し、導き出した「究極の走り」
2019.11.1426歳で和田賢一の100メートルのベストタイムは11秒8だった。全国の陸上クラブと次々にコンタクトを取り「10秒台で走りたい」と訴えたが「走るのは才能だから」「26歳では伸びしろがない」と受け入れを断られた。
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ボルトも吐きながら走っていた “世界2位の日本人”が体感した「天才」コーチの練習
2019.11.092014年11月、ビーチフラッグスで“世界ナンバー2”まで上り詰めた和田賢一は、走力を磨くためにジャマイカへ飛んだ。この年の全豪選手権で和田は準優勝していた。スタートダッシュのテクニックを極めた成果だった。
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「世界2位の日本人」が求めた100m10秒台の走力 辿り着いたボルトとのトレーニング
2019.11.05大学時代にビーチフラッグスに出会った和田賢一は、競技歴3年足らずで日本チャンピオンになった。
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「体が小さいのは大きなメリット」 イタリアの名手が磨いた敏捷性「日本の選手も…」
2019.10.25「体が小さいのは大きなメリットだったんだ。大きなディフェンダーは動きが遅いので、僕のように素早く動ければ有利になる」――ジャンフランコ・ゾラ(元イタリア代表)
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「名誉を捨ててまで代表に…」 W杯を“出場拒否”オランダの英雄が貫いた美学
2019.10.02「思い通りにプレーできないのが分かっているのに、名誉を捨ててまで代表に行くわけにはいかない」――ルート・フリット(元オランダ代表)
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“スポ根アニメ”のモデル校を率いた名将 「鬼」の厳しい練習と先駆的だった指導法
2019.09.08松本暁司氏が今月2日に亡くなった。「鬼」と呼ばれるほど厳しい練習を課し、浦和南を率いて高校サッカー人気の礎を築いた監督だった。
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「泣き出す選手もいた」 外国人監督の“きつい言葉”は日本人選手へどう伝える?
2019.08.29サッカーに限らず、日本と海外の違いは、忖度が介入するかどうか、なのかもしれない。海外では何か問題が起こればストレートに意見をぶつけ合って解決策を探っていく。だが日本では表沙汰にせず、誰も傷つかない方法を選択しがちだ。そしてこうした伝統の相違は、それぞれのメンタリティーの形成にも影響を及ぼしてきたに違いない。
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香川、柴崎ら参戦のスペイン2部 日本人“先駆者”が語っていた「厳しい側面」とは
2019.08.22「2部といっても、スペインはかなりレベルが高い。1部でやれる予備軍がゴロゴロいます」――福田健二(元名古屋ほか/当時カステリョン) 2006年5月、福田健二はスペイン2部のカステリョンでプレーしていた。クラブは開幕から最下位に低迷したため、年明けの1月に助っ人2人を補強。福田はアルゼンチン人のタバレスと1トップのポジションを争うことになり、形勢はやや不利だった。
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“勝負師”西野朗、再び国際舞台へ 「ギリギリの感覚はトップでないと味わえない」
2019.08.06「ここで勝てばタイトル獲得。これに勝てば出場権。あのギリギリのゲームに対する感覚は、トップの指導者じゃないと味わえない」――西野朗(タイ代表監督)
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「日本にも負けないはず」 西野朗を招聘したタイの英雄、母国サッカー発展への確信
2019.07.19前日本代表監督の西野朗氏がタイ代表監督のオファーを受けた背景には、ヴィタヤ・ラオハクル氏の後押しがあったとの報道があった。
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サッカー日本代表戦とテレビ中継 「結果しか伝わらない」時代を支えた選手の使命感
2019.07.08コパ・アメリカ(南米選手権)で9年半ぶりに日本代表戦がテレビ中継されなかった。だが海外での日本代表戦中継の歴史は、まだそれほど長くはない。Jリーグが創設される前は、テレビ中継どころか、報道陣不在の遠征も珍しくなかった。
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「一つこければ振り出し」 女子サッカー草創期のエース、切り拓いた道と拭えぬ“怖さ”
2019.06.20「私たちは道のないところに道を築いてきました。一つこければそこで振り出し。でもなんとか市民権を得るために……」――野田朱美(元日本女子代表/現ノジマステラ神奈川相模原監督)
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「個の強さを磨くために欧州へ」 8年前の世界一直後に熊谷が語った“なでしこの未来”
2019.06.14なでしこジャパン(日本女子代表)が世界一に輝いた2011年女子ワールドカップ(W杯)決勝の米国戦後、優勝を決める最後のPKを突き刺した熊谷紗希はミックスゾーンで熱く語った。当時まだ20歳だったが、すでに代えの効かないセンターバックで、米国のエースで180センチの長身を誇るパワフルなFWアビー・ワンバックを1失点に抑え切ったという点でも陰の立役者と言えた。
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“ブラサカ”日本代表は東京でメダル獲得できるのか 南米2強の牙城を崩すために―
2019.06.03ブラインドサッカー(視覚障がい者サッカー/略称ブラサカ)の歴史は浅い。初めて日本代表戦が行われたのが2002年で、パラリンピックは来年地元開催の東京大会が初挑戦となる。参加8カ国で、日本はメダル獲得を目指すが、簡単な道のりではない。
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視覚障がい者もサッカーと同じ原則論を “背中”に書いて伝える日本独自の多様な戦術
2019.05.30ブラインドサッカー(視覚障がい者サッカー/略称ブラサカ)の日本代表コーチを務める中川英治がパソコンを開き、動画を見せてくれた。
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ブラインドサッカーと“声の力” 日本代表の緻密な指示と研ぎ澄まされる空間認知力
2019.05.25耳が情報源となるブラインドサッカー(視覚障がい者サッカー/略称ブラサカ)では、試合中の指示が重要な意味を持つ。 例えば、唯一GKには資格制限がないので、せっかく地元開催のパラリンピックに臨むなら、プロの最高レベルの選手を起用すれば、と考えがちだ。だがGKの役割は、シュートストップだけではない。
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違いは「目を使うか、耳を使うか」 サッカー技術指導コーチが語る“ブラサカ”の奥深さ
2019.05.21中川英治がブラインドサッカー(視覚障がい者サッカー/略称ブラサカ)に関わり始めたのは5年前だった。
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「20人集まれば4~5人やりたがる」 子供がGKに憧れる“先進国”オランダと日本の違い
2019.05.03「オランダでは子供たちが20人くらい集まれば、必ず4~5人はGKをやりたがる。ブラジルじゃ、ありえないよね」――ハーフナー・ディド(元マツダ、名古屋グランパスエイトほか) オランダは伝統的に足もとの上手いGKを輩出してきた。今ではGKがビルドアップに加わるのは当たり前だが、時代を先駆けていたという見方もできる。