異例の「金メダリスト市役所職員」誕生 朝練が怖くて眠れぬ夜も…180度変わった今が「なんか不思議」――レスリング・土性沙羅
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
「シン・オリンピックのミカタ」#74 連載「あのオリンピック選手は今」第4回
スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト「THE ANSWER」はパリ五輪期間中、「シン・オリンピックのミカタ」と題した特集を連日展開。これまでの五輪で好評だった「オリンピックのミカタ」をスケールアップさせ、大のスポーツファンも、4年に一度だけスポーツを観る人も、五輪をもっと楽しみ、もっと学べる“見方”をさまざまな角度から伝えていく。「社会の縮図」とも言われるスポーツの魅力や価値が社会に根付き、スポーツの未来がより明るくなることを願って――。
五輪はこれまで数々の名場面を生んできた。日本人の記憶に今も深く刻まれるメダル獲得の瞬間や名言の主人公となったアスリートたちは、その後どのようなキャリアを歩んできたのか。連載「あのオリンピック選手は今」第4回は、2016年リオデジャネイロ五輪のレスリング女子フリースタイル69キロ級で金メダルを獲得した土性沙羅。初出場で快挙を達成すると、21年東京五輪後に現役引退を決断。セカンドキャリアとして選んだ道は、元アスリートとしては珍しい市役所職員だった。(取材・文=藤井 雅彦)
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くまのキャラクターがデザインされたポーチから黄金のメダルを取り出すと、子どもたちは目をキラキラと輝かせて、「わぁ、すごい!!」と声を弾ませる。できる限りたくさんの少年少女に触れてもらい、実際に重さを感じてもらう。血と汗がにじむような努力と過程で流した涙の詰まったメダルだ。
リオデジャネイロ五輪のレスリング女子フリースタイル69キロ級金メダリストである土性沙羅は、現役を引退後、出身地である三重県松阪市の市役所職員に転身した。デスクワーク中心の日々を過ごしているが、市内の小中学校を回って授業を行う機会もあるという。メダルは必需品になっている。
「もともとは大切に保管していたんです。でも最近は持ち歩く機会も多いので、手軽なポーチに入れて身近なところに置いてあります。実物を見せると子どもたちはすごく喜んでくれるので、少しでもレスリングやスポーツに興味を持つきっかけになったら嬉しいです」
8年前の夏。逆転での金メダル獲得だった。決勝では12年ロンドン五輪で金メダルを獲得したロシアのナタリア・ボロベワと対戦。2ポイントを先行されたが、試合終了20秒前にバックを取って2ポイントを奪取する。これがビッグポイント(1回のアタックで獲得した得点)数で上回り、逆転勝利した。
五輪初出場での金メダル獲得だった。
「決勝の記憶は鮮明に覚えています。試合中の風景もすぐに浮かんでくるし、自分が頭の中で考えていたことも。タックルを決めた時は落ち着きながら、でも焦っていましたね(笑)。試合映像は子どもたちに見せたりもするので、自分でも何度も見ています。レスリングをやっている自分を見てもらうのは全然恥ずかしくありません。自信を持って戦ってきた競技ですから」
当時は21歳とまだ若手だったが、大会に臨むにあたって大きなプレッシャーを感じていた。普段は無邪気に笑ってばかりの女の子が、マットの上では鬼と化す。練習の時から高い集中力を保ち、試合に臨んだ。
「日本のレスリングには先輩方が築いてきた偉大な歴史があって、金メダルを獲る種目という意識が自然と植えつけられていました。私自身も期待されていたと思いますし、その期待に応えるためにも負けは許されない。練習であっても負けられなかったので、後輩たちからは怖い印象を持たれていたと思います。
練習が終わったらニコニコしているのに、マットに上がった瞬間に顔が変わる。周りにも言われましたし、自分でも分かっていました。完全にスイッチオン、です。そのスイッチは五輪で金メダルを目指していた時にしか入らないもの。あの時ほど何かを本気で掴みにいったことはないし、これからもないんじゃないかな」