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16年経っても「なぜ捕れなかったか分からない」 五輪で犯した世紀の落球、会議室の天井に透けた北京の空――野球・G.G.佐藤

落球の瞬間はスローモーションのようだったという【写真:中戸川知世】
落球の瞬間はスローモーションのようだったという【写真:中戸川知世】

「どけ、中島!」から連日の落球 届かなかった藤川球児の言葉

 青木の3ランなどで4-1とリードしていた3回、高々と上がった打球に対し、遊撃手・中島裕之が捕球態勢に入ったが、勢いよく前進してきたG.G.佐藤が声をかけて落下地点へ。平凡なフライだったが、ボールはグラブをかすめて芝生へ。2日連続、悪夢の落球になった。

「行かなきゃいいのに『どけ、中島!』と……。この辺りから記憶がありません。(3つ目のエラーは)スローモーションだったんですよ。交通事故に遭うとき走馬灯のようになるって言うじゃないですか。無音になって……捕れないみたいな」

 思わずグラブをパカパカ。穴が空いているのではないかと本気で疑った。

 実は準決勝の後、藤川球児が「明日、使われるよ」と教えてくれていた。星野監督と阪神で2年間を過ごし、ミスをした人間をすぐ使う闘将の性格を知っていたからこその言葉だった。

 塞ぎこんだG.G.佐藤の耳には、届いていなかった。

「全然覚えてない。この前、教えてくれて初めて知ったんです」

 もしこの言葉が届いていれば、精神状態も違ったはず。少なくとも3つ目のミスは生まれていなかったかもしれない。

 日本は直後に先発・和田毅が同点3ランを浴びるなど流れを失い、4-8で敗戦。この大会はG.G.佐藤以外にも本調子でない選手が多かったが、「あまりにも俺が目立ち過ぎちゃった」と責任を背負う形になった。

 日本へ戻る飛行機の中、目に飛び込んできたのは、自身を批判するスポーツ紙の強烈すぎる見出しだった。

(続く)

■G.G.佐藤 / G.G.Sato

 1978年8月9日生まれ、千葉・市川市出身。本名は佐藤隆彦。中学時代、野村沙知代氏がオーナーだった「港東ムース」でプレー。野村克也氏とも出会う。桐蔭学園高から法大に進学。卒業後はMLBフィリーズ傘下で3年間プレーした。2003年ドラフト7位で西武入団。07年にレギュラーの座を掴む。08年北京五輪に出場するも、3失策で厳しいバッシングを浴びる。12年にはイタリアに渡ってプレー。ロッテを経て14年限りで引退。父が経営する測量会社「トラバース」に入社した。営業所長、副社長などを経験し、昨年独立。現役時代の公表は184センチ、98キロ。右投右打。

(THE ANSWER編集部・宮内 宏哉 / Hiroya Miyauchi)


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