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高校サッカー監督から転職 選手権13度の62歳元名将、静岡で第2の人生を始めた理由

楢崎との出会い 日本ユース代表に選ばれても正GKにしなかった理由

「楢崎の実家と私の自宅は、直線で400メートルの距離でした。強いとは言えない公立中のGKでしたが、当時では珍しい180センチ近くある長身が魅力で、3年の時、奈良で設立したばかりのトレセン(優秀なユース世代選手を育成する場)に呼びました。その後、奈良育英に入ると、関西トレセンに招集されるようになり、遂には日本ユース代表のメンバーにも名を連ねました」

 だが、上間氏は楢崎をすぐには公式戦で起用しなかった。理由は「ものすごく努力する1学年上のGKがいたから」だった。

「楢崎が高2で迎えた全国総体までは、3年のGK中村好志を使いました。彼の努力を無にしたくなかったからです。能力的には、楢崎の方が上でしたが、ゲームになるとトントンでした。そういう意味では、負けん気の強い中村が楢崎の壁になっていましたし、私にも楢崎に対して『こんなに努力をする人がいることを知っておけ』という思いがありました。その後、全日本ユースから楢崎を正GKにしましたが、今でも楢崎は『あの先輩がいなかったら、僕の先はありませんでした』と話しています」

 この頃から上間氏の指導法、マネジメント法は確立してきたという。

「上達までのプロセスを大事にし、誰も特別扱いしない。11のポジションがあり、それぞれの適性を見て、どういうサッカーをするかを決める。ただし、全員に最低限やるべきことを指示する。あとは、選手たちのやりたいようにさせる。私自身も、指導者初期に8時間かけて教えていたことが、5分で教えられるようになっていました」

 ベスト4到達で強豪の仲間入り。2年後からは、全国選手権の「常連」となった流れの中、上間氏は05年に45歳で教頭、12年に52歳で校長に就任した。与えられた仕事は全力で取り組むことが信念で、有名大学との連携関係を築き、受験者数、偏差値アップに尽力。しかし、1人で成せることではなく、職員の適性を見極め、マネジメントしてきたからこそだった。上間氏は、転職後もサッカーと学校経営の経験を基に仕事をしているという。

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