元公務員右腕を阪神育成指名に導いた“2軍球団”ならではの利点 早川太貴が感謝する環境「ここが一番」
25歳の投手に阪神が「伸びしろを評価」と言えた根拠
その根拠もしっかりしていた。「データとかを見せてもらえて。これは独立リーグにはない部分ですしとても良かったと思います」と早川。NPBの各球団はそれぞれの球場で、弾道測定装置「トラックマン」や、動作の映像分析システム「ホークアイ」で選手の各種データを測定するのが当たり前となっており、2軍球団の選手も丸裸にされている。これはドラフト指名を考えた時、有力な判断材料となるのだ。
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早川は、北海道の大麻高時代には、全道大会でのプレー経験もない投手だった。猛勉強の末に国立の小樽商科大へ進むと球速が147キロまで伸びたものの、一度は公務員試験を受けて日本ハムの本拠地・エスコンフィールドがある北広島市役所に就職。クラブチーム「ウイン北広島」でプレーしながら野球でも上を目指そうとした。ただ限界を感じ、退職して2軍球団入りしたという異色の経歴を持つ。
「ストレートに自信があるのに、ここに来た時には空振りも取れなかった」と話すように、初めて140試合に及ぶシーズンを戦う中で壁はいくつもあった。くふうハヤテはウエスタン・リーグの参加球団で最も東にあることで「移動がきつかった」と苦笑いする。ただ、NPBのチームに復帰したいベテランと、ドラフト指名を受けたい若手で構成される集団で過ごした1年間は、精神的にも大きな刺激となった。
チームは現在、宮崎で行われているフェニックスリーグに参加中で、この日は指名の可能性がある早川だけが静岡に戻り、ドラフトを待った。指名後すぐにチームメートからメッセージが殺到したといい「みんなドラフトを目標にする中で、選ばれたのは僕だけだった。みんな悔しいと思うけど、すぐおめでとうとメッセージをくれて……。あったかい言葉が本当に多くて」と言葉を詰まらせる。
くふうハヤテに来たことが「僕のターニングポイントでした」と断言する。人生をかけた挑戦を成功に導いたのは早川自身の努力と、2軍球団にしかない環境だった。「後悔なくやりたい選手には、ここが一番いいと思います」。安定した環境を捨ててでも、プロ野球選手を目指す――。いつか同じ道を歩く選手が現れるだろうか。
(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)