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五輪から消えた空手「やっぱり出たかった、パリに」 最初で最後かも…覚悟して掴んだメダルと競技の未来

コロナ禍で行われた東京五輪、表彰式もマスクをつけて登壇するなど異例の形式だった【写真:Getty Images】
コロナ禍で行われた東京五輪、表彰式もマスクをつけて登壇するなど異例の形式だった【写真:Getty Images】

身をもって知った代表選考のつらさ「生命体としても…」

 オリンピックでは鬼気迫る表情で拳を突き出し、世界中の注目を集めた。一方で柔和な表情を見せる今も、空手にかかわり続けたいという思いは強い。後に続く選手がいつか、自分と同じオリンピックの舞台に立つことを夢見ている清水さん。そのためにどう動いていこうとしているのか。

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「まずは実施競技に戻ってほしいと思うばかりなんですが、それに加えて私は競技を離れたので、普及活動だったり、海外に空手を伝えに行くことも考えています。広げていって周知するしかない。自分は知ってもらう活動をするのが大事なのかな」

 一方で、パリで戦っている他種目の選手たちにも、あの舞台を経験したからこその視線を向ける。

「東京が1年遅れの開催になって、パリまでは3年間しかなかった。選考レースって本当に大変なんですよ。自分も身をもって経験して……。オリンピック後なんて、なかなか回復してこない。1年半ぐらい、自分ではやる気があるのに力が出なかった。オリンピックに全てのエネルギーをかけたので、また“貯まる”のに生命体としても時間がかかるんです。今の選手は3年間、休みがない中で選考レースが始まって、本当に酷だったろうなと思います」。すべての選手の集大成になってほしいという気持ちで、パリ大会を追いたいという。

 思い返しても、東京オリンピックは本当に特殊な大会だった。新型コロナ禍の最中に行われ、スタンドに観客の姿はなし。感染が広がっては大会自体が成り立たなくなってしまうという競技外でのプレッシャーも、選手たちにのしかかった。

「外に出ちゃいけないというルールがあったので。基本的にみんな部屋にこもっていました。1人かかったら終わりになってしまう緊張感がすごくて……。だから“普通の”オリンピックを経験できなかったのはちょっと悔しいですね」

 お祭り感を取り戻したオリンピックに、空手が戻る日を目指して――。清水さんと競技との関わりは、これからも続いていく。

(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)


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