五輪から消えた空手「やっぱり出たかった、パリに」 最初で最後かも…覚悟して掴んだメダルと競技の未来
「歴史上最初で最後になるかもしれない」覚悟で立った東京大会
空手がオリンピックの実施種目に入ったのは、東京大会が初めて。空手界にとっては画期的なできごとだった。一方で、大会前の2019年5月には、パリ大会で行われないことも決まっていた。東京大会での清水さんは、覚悟を決めて帯を締めた。その結果つかんだ銀メダルだった。
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「競技が(2028年の)ロスで行われるかもわからなくて……。後も先もない状況で、歴史上最初で最後になるかもしれない。次を目指したくても目指せないという試合でした。負けて悔しいという気持ちは今でも変わらない。消化できていないんですね」
だから、思いをストレートに言葉に乗せる。「やっぱり、出たかった。パリに。種目に残って出たかったのが一番です。東京オリンピックが終わった時から『パリ行きたかったー』って、先生と言っていたので」
「世界一美しい形」と評された清水さんにとっても、オリンピックの舞台は特別だった。「オリンピックから得たものは競技人生で一番大きかった。勝ち負けだけではない、皆さんからの声援であったり、自分の形を見て競技を始めたと言ってくださったりとか」。特に身の周りで聞く「空手を始めたんです」という声が何よりうれしかった。
「大会が終わって、そういう声がすごく届いたんです。お子さんだけでなく、ご両親も、私と同じような年齢の方たちからも。あと、空手を少し知ってもらえた。今までは種目に「組手」と「形」があるということも知られていなかったと思うんです。でもオリンピックがあったことでそれを知ってもらえて……。出られてよかった。印象として残すことはできたので良かったと思います」
ただ、清水さんのそうした思いとは異なる方向に現実は動いた。2023年には、空手が2028年のロサンゼルス大会でも行われないと決まった。「ロスも外れてしまって、その次続くかってなると……。経験してみると、あの舞台は他の大会とは比にならないくらい素晴らしい舞台。最高峰なんですよ。言葉どうこうじゃなくて、空気感やそこにかける思いが集結するんです」。特に、東京大会をきっかけに空手を始めた子どもたちの言葉が、心に突き刺さるという。
「お子さんたちからも聞こえてくるんです。『私もオリンピックを目指します』という声が。本当に多いんですよ。子どもたちは行われなくなることまで知らないじゃないですか。そこで『頑張ってね』としか言えないのがもどかしくて」