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30年前のJ開幕戦を見た13歳が鹿島社長に… メルカリが継承した常勝軍団の伝統とベンチャー精神

1993年5月15日、国立競技場での「ヴェルディ川崎VS横浜マリノス」で幕を開けたJリーグは今年、開幕30周年を迎えた。国内初のプロサッカーリーグとして発足、数々の名勝負やスター選手を生み出しながら成長し、93年に10クラブでスタートしたリーグは、今や3部制となり41都道府県の60クラブが参加するまでになった。この30年で日本サッカーのレベルが向上したのはもちろん、「Jリーグ百年構想」の理念の下に各クラブが地域密着を実現。ホームタウンの住民・行政・企業が三位一体となり、これまでプロスポーツが存在しなかった地域の風景も確実に変えてきた。

2019年に鹿島アントラーズの社長に就任した小泉文明氏。Jリーグ開幕時は13歳で、当時から鹿島のファン【写真:宇都宮徹壱】
2019年に鹿島アントラーズの社長に就任した小泉文明氏。Jリーグ開幕時は13歳で、当時から鹿島のファン【写真:宇都宮徹壱】

連載・地方創生から見た「Jリーグ30周年」第3回、鹿島・水戸【後編】

 1993年5月15日、国立競技場での「ヴェルディ川崎VS横浜マリノス」で幕を開けたJリーグは今年、開幕30周年を迎えた。国内初のプロサッカーリーグとして発足、数々の名勝負やスター選手を生み出しながら成長し、93年に10クラブでスタートしたリーグは、今や3部制となり41都道府県の60クラブが参加するまでになった。この30年で日本サッカーのレベルが向上したのはもちろん、「Jリーグ百年構想」の理念の下に各クラブが地域密着を実現。ホームタウンの住民・行政・企業が三位一体となり、これまでプロスポーツが存在しなかった地域の風景も確実に変えてきた。

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 長年にわたって全国津々浦々のクラブを取材してきた写真家でノンフィクションライターの宇都宮徹壱氏が、2023年という節目の年にピッチ内だけに限らない価値を探し求めていく連載、「地方創生から見た『Jリーグ30周年』」。第3回は茨城県の2クラブを訪問。後編では、Jリーグの歴史で最も多くのタイトルを獲得してきた「常勝軍団」鹿島アントラーズが、新体制の下で目指す新たな時代のクラブ像に迫った。(取材・文=宇都宮 徹壱)

 ◇ ◇ ◇

「Jリーグ開幕戦でのジーコさんのハットトリックは、30年後の今でも鮮明に覚えていますよ。開幕前、鹿島アントラーズの前評判は高くなかったじゃないですか。それなのに名古屋(グランパス)相手に5-0でしたからね。実は当時の僕の憧れは、ジーコさんではなくサントスさん。地味でしたけど、ボランチとしてチームのバランスをしっかり取っていましたよね」

 Jリーグ開幕時の1993年、鹿島アントラーズ社長の小泉文明は13歳だった。当時は山梨に暮らしていたが、父親が鹿島町(現・鹿嶋市)に隣接する麻生町(現・行方市)の出身ということもあり、30年来の鹿島サポーターでもある。

「大学進学で東京に出て、そのまま就職しましたけれど、東京近郊でアントラーズの試合がある時は応援に行っていました。それこそゴール裏でも飛び跳ねていましたよ。たまに『社長は鹿島への愛はあるのか?』と聞かれたりしますが、ゴール裏で飛び跳ねていた社長なんて、そんなにはいませんよね(笑)」

 インタビューが行われたのは、4月15日のJ1第8節、ホームでのヴィッセル神戸戦の試合前である。インタビュー後の試合は、結果も内容も散々だった。苦戦が続く鹿島は、クラブアドバイザーのジーコが見守るなか、首位の神戸に1-5という歴史的な大敗を喫してしまう(ホームでの5失点は28年ぶり)。クラブは翌日、岩政大樹監督が引き続きチームを指揮することを発表したが、順位は15位まで落ち込んでしまった。

「順位というのは結果ですので、現状の結果については(社長として)責任を感じていますし、今の順位が許されるクラブではないとも思っています。先人たちも苦労を重ねて、もがき続けながらタイトルを獲得してきました。誰が引き受けるにしても、プレッシャーを感じるポジションであるという自覚は、常にあります」

 トップチームの現状について、社長としての責任について問うと、神妙な表情で答えが返ってきた。監督の岩政にも言えることだが、初めて社長に就任したJクラブが「常勝軍団」というのは、相当なプレッシャーを感じていたはず。その上で、あらためて確認してみた。クラブの根幹であり続けていた「ジーコ・スピリッツ」については、どのように捉えているか?

「ジーコさんの考え方については、クラブの伝統のベースとなっているので、そこはすごく大切にしていきたいと思っています。特に重要なのは『タイトルを獲得し続けることの大切さ』。ですから、それは社長である僕にとっても、使命だと思っています。とはいえ──」

「とはいえ」という言葉に力がこもる。

「これまでのブラジル路線を無条件で継承していけばいい、という話ではないとも思います。すべては勝利のために、というミッションのもと、ジーコさんの教えを遵守しつつ、グローバルなフットボールのトレンドを意識しながら、勝つために最適な意思決定をする必要があると考えています」

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宇都宮 徹壱

1966年生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」を追う取材活動を展開する。W杯取材は98年フランス大会から継続中。2009年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞した『フットボールの犬 欧羅巴1999-2009』(東邦出版)のほか、『サッカーおくのほそ道 Jリーグを目指すクラブ 目指さないクラブ』(カンゼン)、『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)など著書多数。17年から『宇都宮徹壱WM(ウェブマガジン)』を配信している。

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