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鹿島を常勝軍団へと導いた“ノウハウ” 揺るがないスタイルの裏側

「ジーコを獲得したのは、選手としてのプレーだけではなく、プロクラブになるすべての面で伝授して欲しかったから」―鈴木満(鹿島アントラーズ強化部長)

強化部長が語る常勝軍団への出発点

「ジーコを獲得したのは、選手としてのプレーだけではなく、プロクラブになるすべての面で伝授して欲しかったから」―鈴木満(鹿島アントラーズ強化部長)

 2002年日韓ワールドカップ(W杯)を終えた冬だった。かつてサンパウロにあった日系人リーグの取材で、日系の新聞社を訪れた。そこで鹿島の社長が意外なエピソードを教えてくれた。

「ここでジーコサイドと岡野(俊一郎)さんが会って、話し合いをしたんですよ」

 ジーコは一度引退して、ブラジルのスポーツ庁長官を務めていたが、プロリーグが誕生する日本で復帰を考え始め、まず日本サッカー協会(JFA)と接触した。当時ジーコは38歳。JFAは最初に古河電工(現ジェフユナイテッド千葉)に話を持ち掛けたそうだが、古河は年齢やブランクを懸念して獲得を見送る。そこで次に打診されたのが、住友金属(現鹿島アントラーズ)だった。

 ジーコより4歳年下の鈴木満は、当時住友金属の監督だった。

「ウチはプロ化へ向けて何もないところから始めなければならない。すでにジーコの人間性などは調査済みでしたからね。選手としてのプレーだけではなく、プロクラブになるための全てのノウハウを伝授して欲しいと考えた。だから年齢は関係なかったんです」

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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