スロバキア最難関大学を卒業した羽根田卓也 同級生半分が落第する異国名門校への挑戦
「絶対に卒業したい」という熱意が生んだスロバキア人との絆
――当然、周りはスロバキア人ばかりで日本人もいない環境ですよね?
【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら
「スロバキアで育ったロシア人とか、欧州系の外国人は少しいましたが、僕みたいな飛び込みのような外国人は全くいませんでした」
――競技をしているとコミュニティが限られ、人間関係も幅が狭くなりがちです。海外で一般の大学生と日々を過ごし、交友関係を築くことで得られたものはありますか?
「一緒にスキー合宿に行ったり、思い出はたくさんあります。友達ができて一緒にごはんを食べに行ったり、お互いの家に遊びに行ったりもしました。ただ、学園祭をやるような大学でもないし、いわゆる日本のようなキャンパスライフというものではありませんでした。日本と比べてドライというか、みんな本当に学びに来る感じ。必ずしも18歳で入学するわけでもないし、年齢もバラバラ。サークルや部活もなく、本当に学びの場でした。
その中で、いろんな人に可愛がってもらいました。クラスメートも、先生も。アジア人がこんな場所に飛び込んで必死にスロバキア語を話して一生懸命やっているので、評価してくれた。学校の成績だけで言ったら、とっくに落とされていたかもしれないですけど、僕には『絶対に卒業したい』という熱意があったから。それを買ってくれて、一生懸命に教えてくれたので、そこでまたスロバキア人との絆が生まれたかなと思っています」
(2日掲載の後編へ続く)
(THE ANSWER編集部・神原 英彰 / Hideaki Kanbara)