[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

世界8000万人の難民の希望背負って イラン人選手が国籍失っても、もう一度夢見たメダル

政権からの抑圧、搾取から逃れたイラン人メダリストの存在

 今大会、29人の難民アスリートを擁する難民選手団には、4名のイラン人がいる。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

 その一人、23歳のキミア・アリザデは、リオ五輪テコンドー57キロ級の銅メダリストである。

 リオ五輪後、イラン人女性初の銅メダルを獲得した彼女に対する、政権からの抑圧とプロパガンダへの利用、人権侵害は、凄まじいものだった。

「指示通りの場所へ連れて行かれ、命じられるままの文章を言わされ、常に搾取されてきた。私たちは道具にすぎなかった」(アリザデ)

 あるイラン人のコーチは、「男性コーチが女性アスリートをコーチすることや、一緒に遠征することは禁止されている」と証言した。

「イランでは女性アスリートの試合を一切中継しない。試合の最中、女性アスリートは携帯電話やカメラをすべて取り上げられる。写真を撮らせないためだ。これでは自分の選手をコーチできない」

 耐えきれなくなったアリザデは夫とともにドイツに亡命し、自身のインスタグラムにこう投稿した。

「私はイランで抑圧されてきた何百万人もの女性の中の一人です」

「体制の腐敗と嘘に加担したくない」

「私はただ、テコンドーと身の安全、幸せで健康的な暮らしだけを望んでいます」

 新しい国で、新しい言語を学び、難民としての人生を歩み始めたアリザデは、イランから常に誹謗中傷や脅迫メッセージを受け続けたが、一心不乱にテコンドーに打ち込んだ。練習だけが、彼女の心を癒してくれた。

 そして難民申請が通ったあと、IOCによって、アリザデは東京五輪の難民選手団代表に選ばれた。

1 2 3

井本 直歩子

3歳から水泳を始め、小学6年時に50m自由形で日本学童新記録を樹立。中学から大阪イトマンに所属。近大附中2年時、1990年北京アジア大会に最年少で出場し、50m自由形で銅メダルを獲得。1994年広島アジア大会では同種目で優勝する。1996年、アトランタ五輪に出場。千葉すず、山野井絵理、三宅愛子と組んだ4×200mリレーで4位入賞。2000年シドニー五輪代表選考会で落選し、現役引退。スポーツライター、橋本聖子参議院議員の秘書を務めた後、国際協力機構を経て、2007年から国連児童基金職員となる。2021年1月、ユニセフを休職して帰国。3月、東京2020組織委員会ジェンダー平等推進チームアドバイザーに就任。6月、社団法人「SDGs in Sports」を立ち上げ、アスリートやスポーツ関係者の勉強会を実施している。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
UNIVAS
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集