「なぜ日本人?」の空気を実感 セルビア代表の喜熨斗勝史コーチ、選手指導で大切にすることは?
サッカー日本代表は2022年カタール・ワールドカップ(W杯)で、ドイツ、スペインを立て続けに破り世界を驚かせた。三笘薫(ブライトン)や久保建英(レアル・ソシエダ)などメンバーの大半が、今や欧州でプレーする時代となっているが、日本人指導者が海外の環境で結果を残すのは容易なことではない。そうした中で大きな足跡を残しているのが、セルビア代表コーチとしてカタールW杯の舞台に立った喜熨斗勝史(きのし・かつひと)氏だ。2008年から名古屋グランパスでドラガン・ストイコビッチ監督の信頼を勝ち取ると、15年から中国の広州富力に、21年からセルビア代表にコーチとして呼ばれ、指揮官の右腕となっている。
連載・喜熨斗勝史「欧州視点の育成論」第1回、現役時代から意識すべき指導者の姿
サッカー日本代表は2022年カタール・ワールドカップ(W杯)で、ドイツ、スペインを立て続けに破り世界を驚かせた。三笘薫(ブライトン)や久保建英(レアル・ソシエダ)などメンバーの大半が、今や欧州でプレーする時代となっているが、日本人指導者が海外の環境で結果を残すのは容易なことではない。そうした中で大きな足跡を残しているのが、セルビア代表コーチとしてカタールW杯の舞台に立った喜熨斗勝史(きのし・かつひと)氏だ。2008年から名古屋グランパスでドラガン・ストイコビッチ監督の信頼を勝ち取ると、15年から中国の広州富力に、21年からセルビア代表にコーチとして呼ばれ、指揮官の右腕となっている。
異色のキャリアを歩んできた日本人コーチが、欧州トップレベルの選手を指導する日々に見たものとは――。セルビアで奮闘する喜熨斗氏による「育成」をテーマにした連載。第1回はイントロダクションとして、喜熨斗氏が歩んできた道を振り返りながら、セルビア代表での指導から感じることについて語った。(取材・構成=THE ANSWER編集部・谷沢 直也)
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日本人として誰も見たことがない景色を今、自分は見ている――。2022年11月、セルビア代表コーチとしてカタール・ワールドカップ(W杯)のベンチに初めて座った時、ここまで辿り着いたことへの喜びや感謝、責任の重さなど、さまざまな感情が湧き上がってきた。
2021年3月にピクシー(ストイコビッチ監督の愛称)に呼ばれてセルビア代表コーチとなり、カタールW杯欧州予選をグループ首位で突破。本大会を含めて、就任からここまでの約2年間の日々は濃密なものだった。世界トップレベルで戦う一流選手たちを、唯一の“外国人”である自分が教えている経験を、日本サッカー界に伝えていくことも僕に課せられた使命。この連載では、セルビアという日本ではあまり馴染みのない東欧の国で感じたことを中心に、日本と欧州の指導法の違いや育成論など、自分なりの見解を述べていきたい。
まずは自己紹介を兼ねて、僕が歩んできたキャリアを振り返りながら、指導者として海外で戦うために大切な思考を伝えていこう。
皆さんは「指導者」と聞くと、どんなイメージを抱くだろうか。現役生活を退いた選手が、「セカンドキャリア」として目指すものと捉えている人が多いのではないだろうか。もちろん、それは間違いではないし、実際に大半の人が「選手→指導者」という道を歩む。
ただ、個人的に大切だと思うのは「指導者=セカンドキャリア」ではないということ。僕は現役時代、アマチュアとして関東社会人リーグでプレーしながら、「サッカーで一生食べていきたい」と強く思い、高校の教員としてサッカー部の顧問をしていた。
時代は1990年代前半。日本についにJリーグができるという機運が高まり、僕はプロの指導者を目指すことを決意し、アマチュア選手としてのプレーや教員の仕事をしながら、自費でイタリアやスペイン、フランスへ行き、バルサやパル・サンジェルマンなどの試合を見て最先端のサッカーを勉強した。当時、現地で見たことや聞いたことは今でも自分のベースになっていて、指導者としての考え方もその時に確立された。
つまり、大切なのは指導者を「セカンドキャリア」として捉えるのではなく、選手時代を含めて、「1つのサッカーキャリア」として人生を考えられるかどうか。ピクシーのようなスーパースターも、現役時代から指導を受ける監督から何を学ぶか、自分が指導者になった時にどう生かすかということを常に考えながらやってきたという。
これはプロでもアマチュアでも関係ない。指導者として「一生サッカーに関わっていきたい」と思うなら、選手としてプレーする時から指導法やチームマネジメントを意識して学ぶべきで、スタートは早ければ早いほどいい。