横浜にサヨナラ負けも…武相ナインが見つけた「一生の宝物」 古豪復活へ道を開いた仲宗根主将の1年間
春の県大会V、夏も4強…武相復活は仲宗根主将の小さな一歩から始まった
夏にいい思いがしたい――。その一心で始めたのが朝練だ。毎朝6時に家を出て、7時から30分間練習。7時半から部員で行う地域清掃の前に汗を流し続けた。主将の姿は、いつしかチーム全体を変えていった。他の部員も朝練に参加するようになり、春季大会以降は、課題だった守備を二遊間を組む広橋大成(3年)と磨き上げた。この夏、再三に渡って流れを引き寄せた好守備は、努力のたまものだった。
率先して動くのは、中学時代の経験が影響しているのかもしれない。硬式の綾瀬ボーイズ(神奈川)での同学年は9人。少人数の仲間たちと白球を追ってきた。グラウンド整備やコーチャー、ボールボーイなどもみんなで手分けしていた。武相という大所帯のチームで主将となっても、自らがまず行動するのは変わらなかった。「指示を出す人が動いていないと、聞いてもらえることも聞いてもらえない。自分も一緒にやることを心がけている」。ナインにその姿はしっかり届いていた。
豊田監督は仲宗根を「チームで一番学力も高くて真面目。技術では劣る部分があっても、『自分がやってみせる』という部分でしっかりとしたキャプテン」と評する。ベンチ入りメンバーだけではない。スタンドで応援団長を務めた沼崎吾朗(3年)も「自分たちを背中で引っ張ってくれた」と感謝する。古豪が復活ののろしをあげられたのは、決して手を抜かず、行動し続けた主将がいたからだった。
「雑草の逆襲」を合言葉に、泥臭く戦ってきた。夢であり、目標だった甲子園には届かなかったが「中学校時代には名前の知られていない選手たちの集まりでも、1つのチームになればここまで戦えることを示せたと思う」と仲宗根。そして最高の仲間と過ごした2年3か月は「一生の宝物」と言い切った。神奈川の頂点まであと2つに迫った夏。武相ナインの新たな1ページとなる。
(THE ANSWER編集部・山野邊 佳穂 / Kaho Yamanobe)