「日本は柔道着を送ってくれた」 漢字を学び、寿司を愛し…五輪で誓う18歳フィジー留学生の恩返し
五輪は選手にとって、さまざまな思いを背負って立つ場所でもある。2日に行われる柔道男子100キロ超級のフィジー共和国代表タカヤワ・ジェラード・ジョセフは、子どもの頃、フィジーで唯一の柔道場に柔道着を送ってくれた日本への感謝を胸にパリの畳の上に立つ。18歳にして195センチ、120キロの恵まれた肉体。目指すはフィジー柔道史上初の「五輪1勝」だ。(取材・文=水沼 一夫)
柔道男子100キロ超級のフィジー代表ジェラード、12歳で日本に…衝撃を受けた初稽古
五輪は選手にとって、さまざまな思いを背負って立つ場所でもある。2日に行われる柔道男子100キロ超級のフィジー共和国代表タカヤワ・ジェラード・ジョセフは、子どもの頃、フィジーで唯一の柔道場に柔道着を送ってくれた日本への感謝を胸にパリの畳の上に立つ。18歳にして195センチ、120キロの恵まれた肉体。目指すはフィジー柔道史上初の「五輪1勝」だ。(取材・文=水沼 一夫)
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好きな日本語を聞くと、しばし考え「勝ちたい」と発した。渡仏直前の7月下旬、茨城・流通経済大で取材に応じたジェラードは、短い言葉に闘志を込めた。
人口93万人のフィジー出身。6人きょうだいの下から2番目で、6歳の時から柔道を始めた。祖父のタカヤワ・ヴィリアメさんは、1984年ロサンゼルス五輪や88年ソウル五輪に出場し、母国に柔道を伝えた「フィジー柔道の父」と呼ばれる存在。スポーツジムの中にフィジー初の柔道場を作っている。
ヴィリアメさんは東海大で修行経験があり、子どもを次々と来日させて日本とのパイプを作り、一族には柔道経験者が多かった。孫にあたるジェラードのきょうだいはどちらかというと「勉強中心」だったが、子どもながら体の大きかったジェラードは「やるしかないです」と、周囲から自然と柔道を勧められる雰囲気だったという。
練習は週3回、フィジーでは珍しい畳の上で行われた。「畳が1面あります。フィジーだとすごい」。受け身や打ち込み、技の入り方、乱取りを合わせて1時間ほど。追い込む練習ではなく、柔道を楽しく身につける、遊びのような感覚だったと振り返る。
道場生は35人ほどで、女性もいた。フィジーではラグビーが人気で、練習前にはウォーミングアップとして柔道場でタッチラグビーを行う慣習もあった。
「オリンピックを目指す練習ではなく、汗をかく練習でした」
続けられたのは、柔道の魅力というより、練習後の“ごほうび”があったから。
「おじさんが終わった後にマクドナルドに連れていってくれた。嬉しかった」とジェラードは笑みを浮かべた。
日本に初めて来たのは、12歳の時だった。複数の親戚が留学していた流経大の道場で、柔道の練習に参加した。そこでジェラードは、フィジーとは異なる練習内容に強い衝撃を受ける。
「日本の柔道はフィジーと一緒じゃない。日本は柔道が強くなるためにやっていた」
環境の違いに面食らい、ついていくのに精一杯。練習は厳しく、「乱取り中は毎日泣きながらやっていた」と話す。