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フランスはなぜ柔道大国になったのか 普及の裏に一人の日本人…「これが柔道なのか」衝撃だった稽古初日

パリ五輪の柔道競技で、地元フランスの熱気が盛り上げに一役買っている。柔道人口は53万人で、柔道に理解がある国民が多いためだ。女子52キロ級2回戦で敗れて号泣した阿部詩への「ウタ!」コールは、柔道母国へのリスペクトの表れだった。30日時点でフランスのメダル獲得数は計6個。開会式で聖火最終走者を務めた男子100キロ超級のテディ・リネールを擁し、8月3日に行われる混合団体では東京五輪に続く連覇を狙っている。フランスはなぜこれほどまでの柔道大国になったのか。そこには、戦後フランスで柔道の普及に尽力した日本人柔道家の存在があった。(取材・文=水沼 一夫)

1954年、デンマークにて撮影された安部一郎十段【写真:田中博子さん提供】
1954年、デンマークにて撮影された安部一郎十段【写真:田中博子さん提供】

フランスで「日本の柔道」の普及に貢献した安部一郎十段の生涯

 パリ五輪の柔道競技で、地元フランスの熱気が盛り上げに一役買っている。柔道人口は53万人で、柔道に理解がある国民が多いためだ。女子52キロ級2回戦で敗れて号泣した阿部詩への「ウタ!」コールは、柔道母国へのリスペクトの表れだった。30日時点でフランスのメダル獲得数は計6個。開会式で聖火最終走者を務めた男子100キロ超級のテディ・リネールを擁し、8月3日に行われる混合団体では東京五輪に続く連覇を狙っている。フランスはなぜこれほどまでの柔道大国になったのか。そこには、戦後フランスで柔道の普及に尽力した日本人柔道家の存在があった。(取材・文=水沼 一夫)

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 フランスと柔道の出会いは、今から100年前の1924年にさかのぼる。会田彦一や石黒敬七がフランスを訪れ、石黒はパリのモンパルナス地区に道場を開設。パリ留学中の芸術家・岡本太郎も柔道着を着て、稽古に参加していた。

 その後、本格的に柔道を紹介した人物としては、「フランス柔道の父」と呼ばれる川石酒造之助(みきのすけ)が有名だ。35年からフランスで指導を始め、「川石メソッド」(川石式柔道)と呼ばれる独自の教授法を確立。国際柔道連盟(IJF)は、「川石メソッドは、欧州とフランスの影響を受けた国々で非常に成功」とその功績を称えている。

 一方で、「日本の柔道」という点での普及には、安部一郎十段(2022年、99歳で逝去)の貢献を挙げる声が多い。柔道の総本山・講道館で安部のそばで30年近く勤務した技術専門官の津村弘三氏は、「川石さんがフランスに柔道を紹介したとすれば、正しい柔道の教育をしたのが安部先生」と語る。

 川石メソッドは日本語の分からないフランス人に受け入れやすいよう、色帯制度の導入や、技の名前を番号で呼ぶなど簡略化を進めたものだった。

「川石さんは、いろんな工夫をされたんですね。まず修行生たちのモチベーションを維持するために色帯を作った。白帯、黒帯、紅白帯、赤帯しかなかったのを、黒帯に達する以前の各級にいろんな色を割り当ててやるということを始めたわけですね。次の目標をはっきりと定めさせて、柔道修行の意欲を維持させるために、そういう色帯制度を導入しました。

 もう一つの工夫は技を番号で呼んだことです。手技、足技、腰技それぞれに番号を振った。柔道には技がいっぱいありますけども、背負い投げや大外刈りなどの日本語を全部覚えていったら、発音するのも難しいし、それが一つの壁になって勉強しにくいということで、技に番号を振ったんですね。足技1番とか、手技3番とかですね。そういう指導をされていたのが、川石式柔道と呼ばれているわけです」

 この川石メソッドが、安部の運命を決める。

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