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引退・陽岱鋼に「電車男」と呼ばれた同期 2軍時代の深すぎる絆…超人の野手転向を決めた大事件「クビですからね」

今成さん(左)は日本ハムの本拠地・鎌ケ谷でのセレモニーで陽と大笑い【写真:羽鳥慶太】
今成さん(左)は日本ハムの本拠地・鎌ケ谷でのセレモニーで陽と大笑い【写真:羽鳥慶太】

チームは違っても続く絆…強いチームの必須条件とは

 今では笑い話だ。その後陽も外野に転向し、糸井さんとは外野のレギュラーを目指して、切磋琢磨する間柄になった。「1軍を目指して、ずっと2人で練習した仲ですからね。ここまでやるとは思ってなかったですよ。やっぱり野球を愛しているんだよね。本当に楽しそうにプレーするし」という糸井さんは、陽のことを「ブラザー」だと強調する。「また、あの頃の話をしたいな」。

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 その頃今成さんは、陽のプレーに底知れないスケールの大きさを感じていた。「軽く投げてもスナップが効いてるし、守備範囲が広くて……自分が見てきた高校生より、二つ三つ広い印象があったんです」。埼玉の強豪・浦和学院でプレーしてきた目にも、なかなかお目にかかれないレベルの選手だった。さらに驚かされたのは、平気でバックスクリーンに放り込む打撃練習。「僕なんか、引っ張ってもスタンドに入らないのに」。試合でも1年目から、プロの投手が投げるストレートに打ち負けていなかった。

 陽と糸井さんは持ち前の身体能力を生かし、気がつけば1軍のスター選手になっていた。一方で今成さんは、高橋信二や大野奨太という壁に阻まれ、日本ハムでは1軍に定着できなかった。「僕はもう行ったり来たりの選手でしたからね。半分1軍。半分2軍みたいなね」。花開くのは2012年の開幕後、阪神にトレードされてからだ。

 すぐに甲子園で日本ハムとの交流戦があった。5月17日の甲子園、今成さんは代打出場して捕手の守りにつき、移籍後の初安打も放つ。一塁ベースを回ると、意外な光景が目に入ってきた。中堅を守っていた陽が手を叩き、右翼を守っていた糸井が両手を挙げガッツポーズしていたのだ。「だからあの試合、僕は野球人生で一番忘れられませんよ。一番うれしかったヒットかも」。絆の深さを感じさせる言葉だ。

 2006年に日本一になった日本ハムのレギュラーは強固で、陽も糸井も今成も「これ、どのポジションで1軍に上がれるの?」と思うほどだった。「みんな悶々としてましたよね。上が強すぎて、ファームでどんなに成績を残しても上にいけない。みんな個性の塊で、取っ組み合いとかもありましたしね」と今成さん。不安を拭うには練習するしかなかった。「当時はすごいつらい思いをしてやっていたけど、最後にはそれが生きたなと思いますよ。だからもっともっと、今の若い選手にもつらい思いをしてほしい!」。タイパ時代の選手が物足りなく映る。

「プロ野球選手って最初はみんな、自分のためにやるんですよ。でも1軍で試合に出ると、いろんな人を幸せにできるってわかるんです。特に岱鋼は台湾出身ということもある。スター選手として、本当に色んな人に影響を与えたはず。体はボロボロだったと思います。結果うんぬんじゃなく、一日でも長くユニホームを着るのが使命だったと思うんですよ。そこは本当によくやってくれたと思います」

 陽を獲得した当時のスカウト責任者で、のちに日本ハムのGMとなった山田正雄さんに、こんな話を聞いたことがある。

「一緒に苦労した選手が、揃って1軍に上がってくる流れを作ると、チームは強くなるんだよ」

 3人の成長を見ていると、その意味がよくわかる。寮の部屋やグラウンドで、喜びもつらさも、愚痴までも共有した仲間の絆は、どこまでも強い。揃って戦おうとすれば、すぐに同じ方向を向けるのだ。1軍で戦う仲間になった時、これほど大きな武器はない。日本ハムが2000年代のパ・リーグで一時代を築けた大きな理由が、ここにあった。

(THE ANSWER編集部・羽鳥 慶太 / Keita Hatori)

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