金メダリストがなぜ市役所職員に? 転機は新聞広告…「人は変われる」レスリングに学んだ人生の教訓――レスリング・土性沙羅
引っ込み思案の自分が「講演会で想いを伝えられるようになった」
転身してみると期待の大きさを肌で感じた。
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「ちびっこの指導をお願いされて、保護者の方々にすごく喜んでもらえると嬉しい。現代の子どもたちは夢を持てないと学校の先生に言われるけれど、何かを頑張ろうと思うきっかけになっていたら、私にとっても自信になります」
次第にプレーの幅を広げていった。レスリングではなく、社会人として。
もともとは「引っ込み思案なんです。緊張するタイプだし、人の陰に隠れていたい」というキャラクターだが、人前で話す機会が増えると変わっていく自分がいることに気付いた。
「現役時代から自分の言葉を発するのが苦手で……。注目してもらえるのは嬉しかったのですが、発言することに自信がありませんでした。新聞記事の取材ならまだしも、テレビカメラに囲まれると緊張して頭が真っ白になりました。自分にスポットライトが当たるのは競技以外では考えられなくて、講演会のような場は考えられませんでした。
それが今では小学生や親御さんの前で40分講演をして、自分の言葉で想いを伝えられるようになった。私には絶対にできないと思っていたことが、できるようになった。それだけじゃなくて、楽しい気持ちも芽生えてきたんです。市役所職員になってすごく成長した部分だと自負しています。私も意外とできるじゃん、って(笑)。若い頃の自分を知っている人には、変化に驚かれます。人は変われるんですね」
そう言って目を輝かせながら、すべてのきっかけを与えてくれたレスリングに想いを馳せた。
初めてマットに立ったのは小学校2年生の時。親の勧めで弟と一緒にスポーツを始めることになり、練習している様子を初めて目にする。空手、柔道、合気道……。最後に見学したのが、父親が高校生時代に熱中していたレスリングだった。
「吉田沙保里さんのお父さん(故・吉田栄勝氏)が主宰する一志ジュニア教室でレスリングを始めました。見学させてもらった練習は楽しそうだったのですが、どうやらそれはお客さん用の練習だったみたいで……(苦笑)。とにかく厳しくて、やめたくて仕方ありませんでした。でも先生が怖くて、やめることすらできない。そうやって我慢して続けていたら、少しずつ勝てるようになっていって、それからはレスリングの楽しさに惹き込まれていきました。勝てると楽しい。勝つと、もっと勝ちたい。そんなシンプルな動機だったのが、どんどんと負けられない気持ちと立場になってくるから大変でした」