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なぜフィギュア選手は大学生が多い? 早大院卒・中野友加里が語る経験と羽生結弦の卒業

中野さんが「課題をすぐやる」と「4年間で卒業する」を決めたワケとは【写真:松橋晶子】
中野さんが「課題をすぐやる」と「4年間で卒業する」を決めたワケとは【写真:松橋晶子】

中野さんが「課題をすぐやる」と「4年間で卒業する」を決めたワケ

 早大のeスクールはオンデマンドで好きな時間に授業を視聴し、レポート提出と試験により単位を取得する。当時はパソコンが一家に1台あるかどうか、インターネットが普及し始めた時代。自身はパソコンに触れたこともなく、受講のためのソフト1つインストールすることも苦労した。

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 その上で、練習と両立させる。毎朝6時から拠点とする新横浜のリンクで滑り、周りの学生スケーターは2、3限の授業に合わせ、途中で切り上げていく。中野さんは開放されている10時までフルに使って練習し、終わると自宅に戻って授業を受講。追いつかなければ、土日も使って没頭した。

 中野さんは「家にいる時間はほとんどパソコンと向かって授業を受けているか、レポートを書いているかという生活でした」と懐かしむ。

「パソコンの扱いは本当にゼロからのスタートでした。自分で自分のカリキュラムを選択し、スケジュールを組むことが必要になり、自分の強い意志が求められました。特に1年生は統計学と英語が必須科目で、その単位を取らないと2年生に進級できず、統計学は毎日戦っていました。隣に友達がいる環境なら『これってどういうこと?』と気軽に聞けるのですが、自分で参考書を買って理解しなければいけないのは大変でした。

 教授に『単位を取るだけなら、本当は通った方があなたにとっては楽だったと思う』と言われたこともあります。通信教育課程は、入学は一般学生より多少容易かもしれませんが、入学してからは自分を律し、能動的に学ばなければ単位がもらえず、どんどん留年してしまう。それくらい授業の視聴と出される課題が多かったと思います。ただ、やり方に慣れれば、どこでも授業を受けられるのは競技をする上で本当にありがたいことでした」

 在学中に決めていたことは2つある。「課題はすぐやる」こと、そして「4年間で卒業する」こと。中野さんらしい意志の強さが見て取れる。

「決められた提出期間の一番に必ず提出してしまいました。さっさと終わらせたくて、教授に『そんなに早く出さなくていいよ』と言われていたくらいです。でも、遠征中になると大会の後には出したくなくて。本当はその方が気持ちよく勉強できるかもしれませんが、私は疲れてしまって、とてもそんな気分になれなかったんです。すっきりしてから大会本番を迎えようと、遠征先から大会前によくレポートを送っていました」

 忘れられないのは2年生の10月、カナダで行われたグランプリ(GP)シリーズのスケートカナダ。事前合宿地のデトロイトでパソコンが不調だったため、佐藤信夫コーチの娘で振付師の有香さんのパソコンを借りて授業を視聴し、レポートも提出した。長時間格闘する姿を見た有香さんに「いつまでやってるの?」と驚かれ、教授にもまた「カナダに行ってるんじゃなかったの?」と驚かれた。大会はGPシリーズで初の表彰台(3位)となった。

 それほどまでに自分を追い込んだのは「4年間で卒業すること」の想いが強かったから。周りに同い年はほぼいない。もう一度大学で学び直したいという社会人が多く、人生の先輩ばかり。仕事との二足の草鞋を履いて学ぶ分、5年以上かけて卒業する人は珍しくなかった。

「私は両親に学費を払ってもらっていて『1単位でも落としたら自分で払うように』と言われていたので、だったら『1単位でも落とすものか』『なんとかして単位取らなきゃ』と思っていました(笑)。でも、大学で勉強に目覚め、勉強することが好きだったんだと気づきました。『あなたのように何が何でも4年で卒業するという人は珍しい』とも言われましたが、結果的に1単位も落とすことなく、無事4年間で卒業することができました」

 学業に比例するように競技も充実した。2年生の11月にNHK杯でGPシリーズ初優勝。世界選手権3年連続入賞(5、5、4位)、全日本選手権2年連続3位と結果を残し、浅田真央、安藤美姫、鈴木明子らとともに五輪出場を争うレベルに。そして、卒業後に選んだのは早大大学院人間科学研究科への進学だった。

「大学に行ってからは勉強もスケートも上り調子。競技によっては身も心もボロボロになって引退するのが当たり前のこともありますが、人間、一番良い時は辞めづらいもの。ちょうど2年後にあるバンクーバー五輪が節目になるタイミング。なので、もうちょっとだけ頑張って競技をどうするか決めようと考えた時、スケートしかない生活は時間を持て余してしまうかもしれないし、余った時間は何をするか考えて、じゃあ、大学院に進もうと」

 大学院は通学が基本。大学と同じように単位を落とさないようにしながら授業を受け、修士論文も書いた。「自分を客観的に分析し、フィギュアスケートという採点競技にクラシックバレエやダンスを習うことで点数にどう変化が現れるのかをグラフ化してまとめました」。A4で30枚に及んだ。

 大学院1年当時はユニバーシアード優勝など結果を残したが、バンクーバー五輪代表を決める翌年の全日本選手権で3位。惜しくも代表権を逃し、就職活動をして内定をもらっていたフジテレビに入社することに。大学院も無事修了。こうして3歳から始まったスケート人生に幕を下ろした。

 学業で思考を深めることは競技に生きる。中野さんはそれを実感している。

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