「女子が太ももを出して走るなど、はしたない」 たった1人で五輪へ…偏見と戦い、日本女子スポーツを変えた24年の生涯
「THE ANSWER 陸上PLUS」は陸上競技の歴史・変遷を掘り下げ、その価値を問い直す連載「荻島弘一の陸上クロニクル」を展開。スポーツ新聞社で五輪を長年取材してきたスポーツライター・荻島弘一氏が執筆する。第9回は「偏見の時代に挑んだ人見絹江の足跡」をひも解く。

「THE ANSWER 陸上PLUS|COLUMN」 荻島弘一の陸上クロニクルVol.9
「THE ANSWER 陸上PLUS」は陸上競技の歴史・変遷を掘り下げ、その価値を問い直す連載「荻島弘一の陸上クロニクル」を展開。スポーツ新聞社で五輪を長年取材してきたスポーツライター・荻島弘一氏が執筆する。第9回は「偏見の時代に挑んだ人見絹江の足跡」をひも解く。
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日本女子初の五輪メダリスト、人見絹江は常に「偏見」と戦っていた。1928年アムステルダム大会、織田幹雄が男子三段跳びで日本初の金メダルを獲得したのと同じ8月2日、女子800メートルで銀メダルを獲得した。女子スポーツが理解されにくかった時代、人見は後進のために走りきった。
古代オリンピックは女子禁制、近代オリンピックになっても当初は男子だけの大会だった。陸上も1924年パリ大会までは男子のみ。1928年大会は初めて女子にも開かれたが、あくまでも「お試し」。種目数も男子が現在と近い24だったのに対して、女子は5種目だけだった。
まだまだ「女子に陸上のようなハードな運動は難しい」と信じられていた時代だった。日本でも「女子が太ももを出して走るなど、はしたない」という考えが根深かった。女子のスポーツに対する偏見もあった。
そんな中、21歳の人見は五輪に出場した。10代の頃から短距離や跳躍種目で世界的な記録を連発し、国際大会でも好成績を収めていた。メダル有力も、まだ女子選手が五輪に参加すること自体が理解されにくい時代だった。
大会の日本選手団は43人。女子は人見だけで、これが日本女子選手の五輪初挑戦になった。周囲からは批判もあった。人見以外にも有力な選手はいたが、大会出場は見合わせていた。そんな中で「結果を残し、女子のスポーツを認めさせる」が強いモチベーションになったのだろう。
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