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日本が「ラグビー先進国になるチャンス」 W杯“再誘致”の勝算、協会新会長が語る夢

ラグビーから学んだ多様性とリスペクト精神

 インタビューでは、土田会長が選手、指導者、協会理事として携わるなかでラグビーから学んだことにも話が及んだ。そこにはビジネスにも繋がる多くの学びがあり、そのビジネスでの成功体験を、再びラグビーに還元させている。

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「やはりラグビーから学んだ一番のことは、様々な体格だとか、いろいろな考え方、本当にポジションによってタイプがあるじゃないですか。それをリスペクトして、試合が形成されることでしょうね。仕事も同じで、みんなが優秀じゃなくて、バラバラな社員がいる。育った環境も違いますから。でも、それを1つにするためにどうしていくかは、実は仕事でもラグビーでも変わらないと思います。

 そういう意味では、ラグビーから学んだことを僕は仕事でも実践してきた。監督をやっていた時は課長でしたから、7、8人のメンバーを率いていたけれど、5時半に仕事を終えて7時半から練習していました。チームによっては昼から練習しているところもありましたが、うちのチームはそうじゃなかった。でも、時間配分をしっかりやっていけばいいんです。ラグビーは前半40分、後半40分。それを、どうマネジメントしていけるかですから。練習でも、細かくスケジュール通りにやっていくことが重要で、仕事もそうですよね。ミーティング時間がこうで、営業はこう。同じようなことですから」

 土田会長の現役時代は、まだまだ昭和のラグビーのやり方が残っていた時代だ。NO8(ナンバーエイト)が、スクラムで出来の悪いLO(ロック)やFL(フランカー)を蹴り上げていた時代だが、その一方で、個々のポジションの、そして個々の選手の特性や強みを尊重し、お互いが足りない部分を補い合いながら、チームに1×15以上の力を生み出すために、コミュニケーションや工夫を凝らして強化に取り組んできた。このお互いの良さも至らなさも認め合いながら組織として戦うラグビーの理念を、そのままビジネスでも生かして、土田会長はサントリーの現在のポストまで昇り詰めた。

 そして、コメントでも分かるように、時間のマネジメントをラグビーにも生かし、前編でも語っているように、就任早々ながら、縦割りの弊害が感じられた協会内で横の繋がり、コミュニケーションをより積極的に取り合う必要性を感じ取っている。

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土田 雅人

日本ラグビーフットボール協会会長 
1962年10月21日生まれ、秋田県出身。名門・秋田工高で頭角を現すと、同志社大に進学し平尾誠二らと大学選手権3連覇を果たす。卒業後はサントリーに入り、ラグビー部で活躍。95年に現役を引退してサントリー監督となると、1年目で日本選手権優勝に導いた。97年からは日本代表フォワードコーチとなり、監督となった平尾を支えて99年W杯を経験。2000年からは再びサントリーを率いた。本業でも要職を歴任するなか、15年に日本ラグビー協会理事に、今年6月には新会長に就任した。

吉田 宏

サンケイスポーツ紙で1995年からラグビー担当となり、担当記者1人の時代も含めて20年以上に渡り365日欠かさずラグビー情報を掲載し続けた。1996年アトランタ五輪でのサッカー日本代表のブラジル撃破と2015年ラグビーW杯の南アフリカ戦勝利という、歴史に残る番狂わせ2試合を現場記者として取材。2019年4月から、フリーランスのラグビーライターとして取材を続けている。長い担当記者として培った人脈や情報網を生かし、向井昭吾、ジョン・カーワン、エディー・ジョーンズら歴代の日本代表指導者人事などをスクープ。ラグビーW杯は1999、2003、07、11、15、19、23年と7大会連続で取材。

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