日本が「ラグビー先進国になるチャンス」 W杯“再誘致”の勝算、協会新会長が語る夢
急逝した盟友・平尾誠二さんの思いも胸に、日本ラグビー協会の陣頭指揮に立つ土田雅人新会長。サントリーで専務執行役員という要職まで駆け上がったビジネスマンとしての手腕も、ラグビーから学んだ部分もあるという。そして実業界で培った“常識”を、今度はラグビーへ還元しながら、進める協会、日本ラグビー改革のシナリオを語ってくれた。(取材・文=吉田 宏)
日本ラグビー協会・土田雅人会長インタビュー後編、ビジネスに通じるラグビーの精神
急逝した盟友・平尾誠二さんの思いも胸に、日本ラグビー協会の陣頭指揮に立つ土田雅人新会長。サントリーで専務執行役員という要職まで駆け上がったビジネスマンとしての手腕も、ラグビーから学んだ部分もあるという。そして実業界で培った“常識”を、今度はラグビーへ還元しながら、進める協会、日本ラグビー改革のシナリオを語ってくれた。(取材・文=吉田 宏)
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「もっと世界に打って出て行く協会、代表チームを一緒に作ろう」
亡き平尾さんから誘われ、理事に就任して7年。その言葉は、今も土田会長の大きなモチベーションになっている。強いジャパンを作りたい――この情熱のベースには、日本代表フォワードコーチ退任後、再び指揮を執ったサントリーでの指導経験であり、その背景には1999年ワールドカップ(W杯)までの挑戦がある。
「99年のワールドカップが終わって、僕は仕事に戻るつもりだった。でも、佐治(信忠)会長に呼ばれて監督をもう一回やれと言われた。すでに前回の監督時代に優勝もしているし、ちょうど課長から部長になるチャンスでしたが、オーナーにやれと言われたら嫌ですとは言えないですから。でも、監督として2000年から03年まで取り組んだサントリーのラグビーは、今のチームの骨幹になっているし、日本のラグビーを少し変えたという自負はあります」
平尾ジャパン時代の遠征や第1期サントリー監督時代の視察などで、海外のラグビーを見てきたことが、2000年からのチーム作りに大きな影響を与えることになった。
「オーストラリアでも、地域のクラブレベルではハイパントばかり蹴ってつまらないラグビーをしていて、それがスーパーラグビーではボールをどんどん動かしていた。まだまだ世界もそんな感じだった。でも、平尾と一緒にやってきたことで世界のラグビーが少し見えて、もう一回監督になった時の目指すラグビースタイルに繋がったことが財産でしょうね」
そのスタイルこそが、体格やフィジカルで劣る一方で、俊敏性、持久力では優位に立てる日本選手の特性を生かした、ボールを止めることなく動かし続ける攻撃的なラグビーだった。土田会長自身も語っている通り、今の東京サントリーサンゴリアスのラグビーに通じるスタイルであり、それは土田会長自身が思う日本ラグビーのあるべきスタイルだ。