「復興の町」にラグビーW杯がやってくる 釜石“伝説のLO”桜庭吉彦の挑戦
ワールドカップ開催を後押しした亡き平尾氏の言葉
この地域の方言「まげねえ(負けない)」という多くの市民の声が、桜庭氏を突き動かした。その気持ちの変化を、さらに後押ししてくれたのが、亡き平尾誠二氏の思いだった。
「2012年の5月に、平尾さんが神戸製鋼のメンバーを引き連れて釜石に来てくれたんです。その時に開かれたタウンミーティングに参加した平尾さんが、とても前向きな話をしてくれた。当時は、ワールドカップの経済効果やスタジアムの建設費などを踏まえ、開催は難しいという声も強かった。でも平尾さんは、そういう数字で目にみえるものよりも、見えないもの、同じ目標に向かって地域の人たちが歩んでいくことや、あるいは笑顔、そういうことのほうが価値がある、だからこそやるべきだと、そんな話をしてくれたんです」
1987、95年ワールドカップでは共に選手として戦い、99年大会では監督、選手として世界に挑んだ故人の言葉は、桜庭氏はもちろん、多くの釜石市民にも響いた。釜石でのワールドカップ開催という夢物語を実現させようという機運の追い風となった
疑問派から推進派に転じたワールドカップの釜石開催。その意義を問われると、こう語ってくれた。
「日本全体にもいえることですが、より多くの人がワールドカップに関わることが大事かなと思います。関わることが、釜石や日本の未来につながってくるはずです。どんな形でも大会に貢献したことで得られる自信が、その先に繋がっていくと思います。スケールの大きな大会なので、関わった結果もすごく大きいはず。ラグビーを超えたものになるはずです。釜石のような地方都市は人口も減っている。その中で地方の可能性に、ワールドカップを通して自信を持てたり、さまざまなアイデアが持てればいい」
釜石でのワールドカップは、釜石市民の新たな可能性の扉を開くための鍵になる。そう信じて、この土地にワールドカップの楕円球が弾む日を心待ちにしているのは、桜庭氏だけではない。
30年以上も前に行われた第1回ワールドカップを、桜庭氏は将来を嘱望される若手LOとして経験した。
「それまでラグビーにはなかったものだったが、初めての大会に出れるという喜びはありましたね。行ってみると、まだまだのどかな雰囲気でしたけど、世界一を決める大会という緊張感はありました」