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「僕は金メダルに届かない選手」悩み傷ついた18年間 それでも日本競泳界に入江陵介は不可欠だった

会見にサプライズ登場した北島氏(右)【写真:中戸川知世】
会見にサプライズ登場した北島氏(右)【写真:中戸川知世】

「弱さ」を武器にしてたくましくなった現役生活

 レジェンドには失礼な言い方だが、入江は「弱さ」が武器だったようにも思う。言い換えれば「柔軟性」であり「優しさ」だ。「流されやすい」高校生は北島や松田に引っ張られてチームで戦う楽しさを知り、たくましくなった。「多くの人に支えられた」と現役生活を振り返ったが、常に周囲を思いやる人間的な魅力が多くの人を巻き込んだのだ。

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 会見で言葉に詰まる場面では「しんみりして、すみません」と気遣いをみせた。報道陣らへの感謝を込めてお土産に紅白饅頭まで用意した。ゲストとして登場した北島氏には「本当にまじめ。僕なんか、手を抜くことばかり考えていた」と突っ込まれた。そのすべてが、入江らしかった。

 周囲の期待に押しつぶされそうになり、葛藤を繰り返し、悩み、傷ついてもきた。その苦しみは想像さえつかない。それでも、抜群の協調性は「チーム」に欠かせなかった。細かな気配りが、日本競泳陣になくてはならないものだったと思う。だからこそ、先輩にも後輩にも愛される存在であり続けたのだ。

 プールから離れ、今度は競技を「伝える」ことにも興味を示した。競技成績以上に、豊かな感受性や周囲への気遣いが武器になりそう。「辛い物は苦手」とバラエティ番組出演をオファーされて言ったが、激辛料理を前にしながらも周囲の空気を読み「無理ですよ~」と言いながら涙で口に運ぶ姿も目に浮かぶ。プールをあがってもなお「繊細」で「優しく」、気遣いを忘れない人間的な魅力がある入江陵介の活躍が楽しみだ。

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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