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「あのFKが入っていれば…」 三都主の記憶に刻まれる、日韓W杯トルコ戦の残像

三都主アレサンドロは、すでに来日前にプロデビューを果たしていた。パラナ州マリンガにある「グレミオ」という小さなクラブで、もちろんクラブ世界一になった同名の名門ではないが、センターバックでプレーした。ところがそれから明徳義塾高校の北村保夫部長と、カルロス監督の目に留まり、日本で高校生になった。

三都主アレサンドロ【写真:Getty Images】
三都主アレサンドロ【写真:Getty Images】

2002年日韓W杯前年に日本国籍を取得し、日の丸を背負った三都主

「あの位置から蹴ることはあまりなかった。でもなぜか自信が溢れ出てきて、どうしても蹴りたいと思った」――三都主アレサンドロ(元日本代表)

 三都主アレサンドロは、すでに来日前にプロデビューを果たしていた。パラナ州マリンガにある「グレミオ」という小さなクラブで、もちろんクラブ世界一になった同名の名門ではないが、センターバックでプレーした。

 ところがそれから明徳義塾高校の北村保夫部長と、カルロス監督の目に留まり、日本で高校生になるのだ。しかも在学3年間で一度も全国の舞台は踏めていない。プレーヤーとしてはずいぶんと遠回りしたが、それでも清水エスパルスに入団し、3年目の1999年にはJリーグのMVPに選ばれた。

「高校生活を送り、周りの仲間もみんな日本人。つくづく自分も日本人っぽくなってなあ、と感じるようになりました。だったら日本人として、日本の仲間と一緒にブラジル代表を倒したいと考えるようになったんです」

 まだ父はブラジルで凄い選手になってほしいという夢を捨てきれなかったが、必死に両親を説得して2001年11月、日本国籍を取得する。翌年3月にはウクライナ戦で日本代表にデビューし、日韓ワールドカップに間に合った。しかし監督のフィリップ・トルシエは、グループリーグ3試合を通して、三都主をベンチに置いたままだった。

「メンバー登録された23人のうち、スタメンは11人だから、12人は出られない。チームのことを考えれば、わがままはマイナスになるので、自分が出たいという思いは、強い気持ちで抑え込みました」

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近東京五輪からプラチナ世代まで約半世紀の歴史群像劇49編を収めた『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』(カンゼン)を上梓。『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(ともにカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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