[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

51歳でツアー初V飾った苦労人プロの想い「シニアでピークが来た。諦めなくて良かった」

アプローチ練習をする森田徹。「耐えるゴルフ」を得意にしている【写真:柳田通斉】
アプローチ練習をする森田徹。「耐えるゴルフ」を得意にしている【写真:柳田通斉】

ここから始まったツアープロとしての苦労

 努力は報われたが、ツアープロとしての苦労はここから始まった。レギュラーツアーの出場は、デビューの97年に1試合、98年は0試合、99年に1試合。初めての予選通過は、00年日本オープン41位で賞金66万円だった。

【注目】育成とその先の未来へ 野球少年・少女、保護者や指導者が知りたい現場の今を発信、野球育成解決サイト「First Pitch」はこちら

「私はテストに合格する前から、ゴルフ場(袖ヶ浦CC)に勤務していて給与を得ていましたし、レッスンで稼ぐこともできました。ただ、周りの方々は私が試合に出て活躍することを願っていましたし、00年の日本オープンで賞金を得た時、『こういうことを重ねていけばシードが取れるのか、自分もそうなりたい』と思うようになりました」

 現実は厳しかった。01~06年の6シーズンで出場13試合。07年は19試合、08年は14試合、10年、12年も10試合以上の出場を果たしたが、トップ10入りはなし。賞金シード権獲得には遠く及ばなかった。

「試合に出続けられたシーズンは楽しかったですし、当時は勤務先から旅費を出してもらっていました。今、思えば、そうした環境に甘えていたのかもしれません。ハングリーさが足らなかったように思います」

 14年に2試合出場。森田のレギュラーツアーのキャリアは、ここで止まった。ツアー予選会は受験するも失敗。18、19年はフィリピンツアーの予選会で出場権を獲得し、数試合に出場したが、予選は通過できなかった。その状況下、シニアツアープロとして活躍するビジョンを立てていた。

「もう、シニアで勝負するしかないと思って準備をしてきました。ただ、50歳になった19年に受けた20年ツアー予選会は調子が悪すぎて失敗し、20年に受けた21年ツアー予選会で16位に入って、ようやく試合に出られるようになりました」

1 2 3 4
W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集