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18歳で自分を守る「鎧」にメイクを選んだ日 安藤美姫がいまの女子選手に伝えたいこと

トリノ五輪以降、様々な批判に晒されたこともあった安藤さん、メイクは自分を守る「鎧」でもあった【写真:Getty Images】
トリノ五輪以降、様々な批判に晒されたこともあった安藤さん、メイクは自分を守る「鎧」でもあった【写真:Getty Images】

様々な批判に晒された現役時代、自分を守る「鎧」として行ったメイク

 そして、安藤さん自身も競技者時代、様々な批判に晒された一人だった。

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 女子高校生にして日本トップスケーターであり、女子シングル史上、世界初の4回転ジャンパー。そのキャッチーな肩書きに多くのメディアが注目。2006年トリノ五輪シーズン到来で、急速に世間から知られる存在となった。

 すると環境は一変。日々、マスコミに追われ、良い言葉も悪い言葉も自分の耳に入ってきた。さらに18歳で出場したトリノ五輪後、15位に終わった安藤さんに対し、凄まじいバッシングが襲った。

「五輪が始まるまでは、『若手で頑張っている』とか『可愛い』とかすごく言われていました。でも、トリノでは4回転ジャンプに挑戦して失敗するなど、いい結果を出せなかった。当時、高校生の女の子としては一般的な体形でしたが、年頃特有の体形の変化で、アスリートとしては結構、パンパンだったんですね。すると、体形のことで『見苦しい』と批判されたり、『メイクが濃すぎる』『ケバイ』と書かれた手紙が届いたりしました。一番辛かったのは……その頃には理解がまだできなかった、過熱報道ですね」

 その頃、安藤さんにとってプライベートでのメイクは、自分を守るための手段だったという。毎朝、鏡に向かい、黒いアイライナーを、太く、目を囲うように引く。「強め」のメイクをしてから、家を出た。

「ちょっとつらい時期だったので、当時は世の中に存在する人、全員から自分を守る気持ちで、メイクをしていました。

(例えるなら鎧?)……そうですね、鎧です。メイクで自分を強く見せるようにして、プロテクトする。それで、自分を保っていたという感じです」

 ニコライ・モロゾフコーチの指導を仰ぐべく、米ニュージャージー州へ渡ったのは、それからしばらくしてのことだった。

「日本にいるときは、まったく自分らしくいられず、毎日が苦でしかなかった。アメリカに渡り、オープンマインドになったことで、私は変われました。日常生活できちんとメイクをするようになったのも、この頃からです。

 ニコライコーチは私たちに対し、試合中だけでなく、公式練習や普段の生活でも身だしなみにうるさかったんですね。『フィギュアスケートは人に観られる競技だし、選手は人に観られる立場にある。メイクも服装も、普段から気を抜くな!』と常に言われていました」

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長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

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