[THE ANSWER] スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

陸上界にいまだ残る「不適切な鉄剤注射」 重い貧血に悩んだマラソン有森裕子の警鐘

大学時代に変わった意識「とことん自分の身体や食事を研究していた」

「私は股関節脱臼で生まれ、故障も多く、生まれ持った身体は人よりも優秀ではなかった。そのこともあって、大学入学後はトレーナーの仕事にも興味を持つようになりました。人体解剖学を学んだり、『どうすることが、身体にとっていいのだろう?』と考えたりすることが、とにかく好きでした」

本当にしんどかった重い生理痛 婦人科医に相談、服用し始めたピルが私には合った――サッカー・仲田歩夢選手【私とカラダ】

 大学では3年生まで、陸上部の寮で生活。貧血の経験から食事の大切さを理解していたものの、上下関係の厳しい時代。下級生の間は、十分な食事を摂ることが難しかった。

「夜は寮で出してくれる食事、朝は選手個々で用意した朝食を食べましたが、当時の寮の食事は本当にお粗末(笑)。食堂は朝、先輩が使っていたら使えないし、1年生は冷蔵庫に自分のものを1個しか入れられないというルールがありました。冷蔵庫に入れるのはせいぜい、パンかジャム。パンってカロリーが高いし、糖質と脂質のコンボ。本当に偏った食生活でした。

 結果、部員が皆、同じように、痩せているのにビヨーンとした(締まりのない)体形になっていきました」

 その後、女子合宿所の本部メンバーになり、寮長にもなった有森さんは、朝食も寮で出すことを提案。これが、採用された。

「ご飯と味噌汁は寮で出し、卵も全員、1個は使っていい、となりました。足りなければ、納豆なり、味噌汁の具材に好きなものを加えたりすればいい。やっと、部員全員がきちんとご飯を食べられるようになりました」

 4年になると、規則により寮を出て、下宿を始めた。焼いた頭無しのいわしを2本、梅干し1個、卵1個、そしてご飯と味噌汁。これは、有森さんが、毎日、下宿先で作っていた朝食だ。

「私、毎日、同じものを食べても平気なんです(笑)。実業団入団後も寮の食事はありましたが、練習量に対して足りないと思えば、自分で食材を買い足し、部屋のキッチンで調理。やっぱり、自分のことをわかっていないとコンディション管理は出来ません。ですから、とことん、自分の身体や食事を研究していました」

 ベスト体重=軽い体重、ではない。ベスト体重=状態のいい体重。体重ではなく、「状態はどうか」という視点で身体を見るようになった。

「食事は『食べるな』ではなく、『しっかり食べてしっかり走れる身体を作る』ことが大事。こう認識するようになってからは、人任せにせず、自分で考えるようになりました。食事の献立を自分で考えるようになってから、体重も、陸上の記録も安定しましたね」

 この考えに至ったのは、実業団で指導を仰いだ、故・小出義雄氏のおかげだと話す。

1 2 3 4

長島 恭子

編集・ライター。サッカー専門誌を経てフリーランスに。インタビュー記事、健康・ダイエット・トレーニング記事を軸に雑誌、書籍、会員誌で編集・執筆を行う。担当書籍に『世界一やせる走り方』『世界一伸びるストレッチ』(中野ジェームズ修一著)など。

W-ANS ACADEMY
ポカリスエット ゼリー|ポカリスエット公式サイト|大塚製薬
DAZN
ABEMA Jleague
スマートコーチは、専門コーチとネットでつながり、動画の送りあいで上達を目指す新しい形のオンラインレッスンプラットフォーム
THE ANSWER的「国際女性ウィーク」
N-FADP
#青春のアザーカット
One Rugby関連記事へ
THE ANSWER 取材記者・WEBアシスタント募集