「復興の町」にラグビーW杯がやってくる 釜石“伝説のLO”桜庭吉彦の挑戦
2011年3月11日の後は「ワールドカップよりも復興」
ワールドカップ会場の釜石鵜住居復興スタジアムの座席数は1万6000。日本大会12会場で最小クラスのスタジアムだ。東日本大震災の被災地という関心度もあり、観戦チケットはプラチナ化している。足を運びたくても運べない釜石市民も多い中で、桜庭氏はチケットを持たない市民を、いかにラグビーに引きつけ、参加意識を持たせるかに力を注いでいる。
1970-80年代の日本のラグビー界を、真紅のジャージーが席巻した。全国社会人大会、そして日本選手権で、新日鉄釜石は前人未踏の7連覇を達成。名門大学のエリート選手を集めた“都会のチーム”を、東北の高炉で働く高卒選手たちが叩きのめした。国立競技場のスタンドには、釜石港の漁船にたなびく大漁旗「富来旗」が打ち振られた。
だが、1984年度を最後にチームの連覇が止まり、鉄鋼不況の影響で89年には高炉の火も消えた。2001年にはラグビー部がクラブ化されて釜石SWに改称。そして、11年3月11日の未曾有の悲劇に苛まれた。
震災直後に一部の釜石市民からはラグビー・ワールドカップの釜石開催を復興に結び付けたいという声があがっていたが、桜庭氏の考えは違っていた。
「復興とワールドカップのどちらを優先させるかといえば、復興が大きかった」
桜庭氏の家族や周囲に深刻な被害はなかったが、いまや故郷と呼んでもいい町の惨状を見ればラグビーのことを考えるような状況ではなかった。その思いが変わっていったのは、被災した人たちの声や行動を目の当りにしたからだ。
「実際に何人も家族を失い、家を失った方々が、ワールドカップを通じて地域の未来を作ろうという取り組みを始めていた。その姿をみて、このままでいいのかという葛藤を感じましたね。おそらく、震災から1年後くらいの頃です」