渡邉拓馬氏が気仙沼で「東北『夢』応援プログラム」実施、小学生を直接指導
10月31日。テレビドラマの舞台ともなった海の街、宮城・気仙沼に子供たちの笑顔が咲いた。三陸復興国立公園に程近い海を望む高台にある小原木公民館。かつて小原木中学校の生徒が思い出を刻んだ体育館で、楽しそうにバスケットボールを操るのは気仙沼ミニバスケットボール少年団の子供たちだ。集まった小学1年から6年までの男女およそ30人は、いつになくソワソワ待ちきれない様子。それもそのはず、この日は特別ゲストを迎えることになっていた。
バスケでも社会でも大切な「思いやる心」 元日本代表が気仙沼で伝えたこと
10月31日。テレビドラマの舞台ともなった海の街、宮城・気仙沼に子供たちの笑顔が咲いた。三陸復興国立公園に程近い海を望む高台にある小原木公民館。かつて小原木中学校の生徒が思い出を刻んだ体育館で、楽しそうにバスケットボールを操るのは気仙沼ミニバスケットボール少年団の子供たちだ。集まった小学1年から6年までの男女およそ30人は、いつになくソワソワ待ちきれない様子。それもそのはず、この日は特別ゲストを迎えることになっていた。
午前9時半。長身を屈めながら体育館の扉をくぐってきたのは、バスケットボール元日本代表で3人制バスケ「3×3」でもプレーした渡邉拓馬氏だった。「うわ〜!」と感動で目を輝かせる子供たちと、現在はBリーグ・京都ハンナリーズでゼネラルマネージャーを務める渡邉氏を繋いだのは「東北『夢』応援プログラム」。この日は3月まで続く半年間のプログラムの「夢宣言イベント」が開催された。
「東北『夢』応援プログラム」は、公益財団法人東日本大震災復興支援財団が立ち上げた、年間を通して子供たちの夢や目標を応援するプログラムだ。「夢応援マイスター」を務めるアスリートや元アスリートが、参加する子供たちがそれぞれに掲げる半年後、あるいは1年後の目標に向かって、遠隔指導ツールでサポート。1日限りのイベントで子供たちとの交流を終えるのではなく、離れた場所でも動画やSNSを通じて継続したプライベートレッスンが受けられるという画期的な試みだ。
2017年から夢応援マイスターを務める渡邉氏はこれまで故郷・福島を中心に指導してきたが、縁あって初めて気仙沼の子供たちを指導することに。2013年から活動を始めた気仙沼ミニバスケットボール少年団には現在41人が所属。チームのモットーは「明るく楽しく元気よくです」と話すのは、代表を務める袖野洸良さんだ。自身も大学までバスケットボールをプレーしたといい、「勝負事ではありますが、まずは楽しんでもらいたい。メリハリの効いた練習を心掛けています。今回のプログラムのおかげで、11月に小学生最後の試合を迎える6年生にとって3月の卒団まで目標ができました」と喜ぶ。
渡邉氏は「僕も東北出身。震災を通じて得た経験を東北の子供たちに還元していきたいと思っています」と毎回、子供たちとの出会いを楽しみにしている。今回も「まずは楽しくバスケをしましょう。自分で考えるメニューもあります。何のためにやる練習なのか、自分になりに考えて取り組んでください」という挨拶とともに、まずはクリニックからスタートした。
遊びの要素も採り入れながら楽しくバスケの基礎を学べるメニューを実施
最初のメニューは鬼ごっこだ。鬼ではない子供たちはコート全面をドリブルしながら捕まらないように逃げる。ただし、移動していいのは体育館の床に描かれた色とりどりのライン上のみ。捕まったら今度は自分が鬼となって追いかける。複数の鬼がいるため、1人の鬼から逃げ切ったと思っても、周りをよく見ていないともう1人の鬼と鉢合わせることも。第2ラウンドでは逃げられる範囲をコート半面に狭め、さらには利き手ではない手でドリブルをするという条件が加わり、難易度がアップ。子供たちは歓声を上げながら、バスケ版鬼ごっこを楽しんだ。
続いては、ペアを組んでのパス練習だ。「両手の指先でボールを強く押し出すようにワンバウンドで相手の取りやすい位置にパスしてみよう」という渡邉氏の言葉に従う子供たち。両手から片手パス、さらには両手パスながらも片足立ちでバランスを取りながらのパスになると、なかなか思い通りにできないこともある。3人一組となった股くぐりパスになったら尚更だ。パスを出し合う2人の間に、もう1人が両足をグーパーグーパーと開いたり閉じたりしながら立つ。足が開いている時にタイミングを合わせ、股下でワンバウンドするようにパスを通すのだが、ボールは足に当たったりお尻に当たったり。楽しむ子供たちの笑い声が響いた。
咄嗟の判断力を試されたのは、ボールを使わないメニュー「3目並べ」だ。コート中央に置かれた3×3=9つの目印の上に3つのカラーコーンを1つずつ置き、縦横斜めどの方向でも先に3つを一直線に並べたチームが勝ちというゲーム。男子チームと女子チームが目印を挟んで向かい合い、リレー方式で勝負。先頭はどこにコーンを置くのか。続く走者は自分たちの完成を急ぐべきなのか、相手の完成を阻止するべきなのか。流れによって瞬時の判断力が試される。同じチームの仲間からの活発な指示も飛び、白熱した勝負が展開された。
最後は6チームに分かれて、1試合1分30秒の変則ミニゲームを実施。「こっち!」「空いてるよ!」「いいね!」と声を掛け合いながら、コートを縦横無尽に走る子供たち。その楽しそうな様子を、渡邉氏は優しい笑顔で見つめた。
渡邉氏が気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館を訪問「後世に伝えていかないと」
1時間半のクリニックを終えたところで、遠隔指導に参加する15人の子供たちが夢達成ノートに「わたしの将来の夢」「未来のわたしの町をどうしたい?」「半年後の約束」を記入。1人1人が渡邉氏の前で元気よく発表した。「将来の夢」として4人が「プロバスケット選手」と答えたのに対し、「プロバスケットの動画を配信する人」という現代ならではの夢や、「パティシエ」「鉱物を掘る人」などバラエティに富んだ夢が飛び出した。また、「半年後の約束」としては「3ポイントを必ず決められるようになりたい」「少しでもチームに貢献できるようになりたい」「1試合で20点以上取りたい」「いろいろな技を使ってディフェンスをしたい」と、各自が具体的な目標を掲げた。
15人の発表を頷きながら聞き入った渡邉氏は「バスケは1人ではできないスポーツ。チームメートのことを考えながらプレーすることが大切です。これは普段の生活でも一緒。相手の嫌がることはやらない、相手を思いやるという心は、将来必ず生きてきます。半年間、みんなで成長できるように頑張りましょう」とエールを送った。
子供たちと半年後の再会を約束して別れた渡邉氏が帰路に就く前に立ち寄った場所がある。それが気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館だ。2011年に発生した東日本大震災による大津波と大規模な火災は1143人の命を奪い、212人の行方不明者を出すなど、気仙沼の街に悲劇をもたらした。多くの被災者を出した波路上地区で被災したままの姿をとどめる県立気仙沼向洋高等学校の校舎を遺構として保存。震災の記憶と記録を残しつつ、防災の課題と教訓を未来に伝えるために一般公開されている。
大津波が気仙沼の街を飲み込む瞬間の映像、破壊された校舎、校舎3階に残る流されてきた車などを真剣な眼差しで見つめた渡邉氏。「震災の痕跡がここまで残る場所もなかなかない。震災の記憶がない子供たちが増える中、経験者として僕たちが後世にしっかり伝えていかなければならないと改めて思いました」と言葉に力を込めた。
被災地の子供たちが持つ何かに取り組みたい気持ち、そして夢を追う環境をサポートするために始まった「東北『夢』応援プログラム」。震災発生から10年目の今年、渡邉氏が気仙沼へ導かれ、遺構で想いを新たにしたのは偶然ではなく、必然だったのかもしれない。
(THE ANSWER編集部・佐藤 直子 / Naoko Sato)