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サッカーへの未練断ち切った2年間 元Jリーガー中村亮、中学教員を経験して訪れた転機

プロ2年目での引退決断は間違っていなかった

 中村のサッカー人生は、この頃から一気に華やいでいった。

 1998年度全国高校選手権では準決勝に進出し、この年に三冠で圧倒的な強さを誇った東福岡高に2-3と肉薄した。翌3年時の全国高校総体(インターハイ)では大会のベスト11に選ばれ、それ以降は「自分の長所を自覚し自信を持ってプレーできるようになった」と振り返る。

 滝川二高を卒業すると「教員免許を取るために」鹿屋体育大学へ進み、4年時には現鹿島アントラーズ監督の岩政大樹や清水エスパルスなどで長くプロで活躍した兵働昭弘らとともに、2003年のユニバーシアード大邱大会に出場し金メダルを獲得。Jリーグの4~5チームが争奪戦を繰り広げることになる。

 だが反面、中学時代から長い付き合いになる膝痛の限界が、確実に忍び寄っていた。

「中学時代から、よく半月板がロックしたような状態になり、自分で戻してプレーを続けてきました。でも大学の後半頃からは、もう自分ではロックを解除することができなくなり、病院では手術を勧められていました。しかし膝にメスが入った選手をプロが獲るとは思えないし、だから誰にも怪我のことは言えなかったんです」

 結局ずっと避けてきた手術は、2004年にFC東京でプロ生活をスタートさせた直後という最悪のタイミングで受けることになる。そしていくらリハビリを重ねても膝の可動域は戻らず、復帰をすれば水が溜まる悪循環を繰り返すことになった。

 FC東京からは2年目のオフが近づくと契約更新をしないことを告げられた。クラブは移籍先を探してくれたが、中村は「1年後も同じ状態でいる」姿しか想像できず、ここで現役生活にピリオドを打つ。当然サッカーへの未練はあったが、今でも決断は間違っていなかったと確信している。

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加部 究

1958年生まれ。大学卒業後、スポーツ新聞社に勤めるが86年メキシコW杯を観戦するために3年で退社。その後フリーランスのスポーツライターに転身し、W杯は7回現地取材した。育成年代にも造詣が深く、多くの指導者と親交が深い。指導者、選手ら約150人にロングインタビューを実施。長男は元Jリーガーの加部未蘭。最近、選手主体のボトムアップ方式で部活に取り組む堀越高校サッカー部のノンフィクション『毎日の部活が高校生活一番の宝物』(竹書房)を上梓。『日本サッカー戦記~青銅の時代から新世紀へ』『サッカー通訳戦記』『それでも「美談」になる高校サッカーの非常識』(いずれもカンゼン)、『大和魂のモダンサッカー』『サッカー移民』(ともに双葉社)、『祝祭』(小学館文庫)など著書多数。

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