高校の部活で挫折したバスケ選手 環境に違和感、転校を決断し切り開いたプロへの道
編入先で知った遊び感覚のバスケットボール
開志国際を退学し、宇都宮短期大学附属高校への編入が決まった。「普通の高校生になりたかったです。バスケットボール部に入ることは考えてなかったですね」。そう振り返るが、編入試験の結果が奮わず、学校との面談で「バスケットボールを続けるなら……」と編入のための条件を加えられた。
「転校できるなら、なんでも言うことを聞こうと思いました(笑)。とにかく転校したかったです」
不本意ながらバスケットボール部に入部する形となったが、苦しく感じていた環境から解放された生活をとにかく楽しんだ。
「最高でしたね、本当に全部が楽しくてキラキラしていた。高校生としての学校生活が楽しかったからか、部活も思いのほか楽しくて、バスケを嫌いになったわけじゃないんだと安心しました。期待で追い込まれることもないですし、バスケそのものが楽しかったです」
チーム自体のレベルは開志国際に比べるとかなり劣っていたが、チームメートの人の好さや優しさに救われた。
張り詰めた雰囲気での練習環境からガラリと変わると、プレーにも変化が現れた。
「心に余裕ができて、少し遊び感覚のプレーができたのは大きかったです。その半面、周りのレベルが落ちたことで調子に乗りましたし、自分のレベルが落ちていることにも気付いていたので、プロに行くとかそういう気持ちはもうなかったです」
3ポイントシュートが決まれば、ダンクも決まる。気持ちの良いプレーはできていた。しかし、かつて真剣にプレーしていたからこそ、自分が今いる位置や現状が理解できた。高校での最高成績は県ベスト4。瞬く間に小室の高校バスケは終了した。
高校で目立った成績を残せなかった小室は全国的に無名の存在だったが、関東圏にある2つの大学から誘いを受けた。1つは関東1部の白鴎大学、2つ目は関東2部の江戸川大学だった。
「どちらに行くかすごく悩みました。普通に考えれば、誰もが1部の白鴎大学に行くと思います。でも僕の場合は一度高校を辞めているので、白鴎に入っても最後までやり切れるか不安だったんです」