高校の部活で挫折したバスケ選手 環境に違和感、転校を決断し切り開いたプロへの道
高校1年生の終わりに持ち始めた違和感
入学後からすぐに試合に出場するなど、順調な活躍を見せた。しかし1年生の終わり頃、今までなかった違和感を徐々に持ち始める。
「バスケットボール以外に何もできない環境がとにかく息苦しかったですね。『バスケ1本!』みたいな生活で、遊ぶ場所もなく、ただひたすらバスケをするだけの毎日で息抜きがまったくできませんでした。その極端な環境が自分に合っていなかったと思います」
苦しんだのは、それだけではなかった。
「監督にかなり怒られましたね(笑)。最初から試合に出させていただいたりして期待されている分、そこでも追い込まれました。期待を込めて厳しく指導してくださっていることに当時の自分は気付いていなかったですし、そこまでの余裕がなかった。真逆のことを思っていたというか、厳しくされるのが嫌で、頑張ることができなかったです。完全に滅入りました」
限界を感じ、2年生になる前の時期に寮を飛び出し、栃木へ帰った。当時を振り返る小室は、自分の話をどこか少し他人事のような雰囲気で話す。
「本当に嫌で嫌で仕方がなかったんです。自分でも不思議ですが、あまり当時の記憶がありません。バスケが大嫌いになりましたし、記憶が無くなるくらい嫌なことだったんだと思います。退学する時はプロに行きたいとか、そんなことは頭にもなかったですね」
幼い頃からの「プロ選手になる」という目標は小室の中から完全に消え去り、むしろバスケが嫌いになっていた。
誤解を招かないように一つ追記すると、小室は成人になったタイミングを機に開志国際高校へ行き、総監督に挨拶と近況報告をするなどして談笑を交わした。両者の間にわだかまりはない。