高校の部活で挫折したバスケ選手 環境に違和感、転校を決断し切り開いたプロへの道
最後の挑戦、白鴎大学への進学を決意
苦渋の選択の決め手になったのは、当時、白鴎大学でヘッドコーチを務めていた落合嘉郎氏の存在だった。落合氏は現在、来季B1リーグに昇格した仙台89ERSでアシスタントコーチを務めている。落合氏は小室が小学生の時に通っていたリンク栃木ブレックスのスクールの講師だった。
「バスケの楽しさは落合さんに教えていただきました。高校を辞めた時も心配してくださったり、ずっと気にかけていただいていた。僕にとって落合さんはすごく大きな存在です。声をかけてもらえたのは本当に嬉しかったです」
そして腹を括る。
「よくよく考えたら、高校を辞めた当時はどん底でしたけど、その後は元気に生きています。その経験のおかげで、失敗してもなんとかなると開き直ることができました。それにバスケットボールがない人生は自分にとって駄目な気がしましたし、落合さんとのご縁もある。最後の挑戦だと思って白鴎大学に行くことを決めました」
不安を抱えながらも覚悟を持って白鴎大の門を叩くと、想像以上にチームの雰囲気が小室に合っていた。フランクな上下関係、意識高く自主練習を行う同期にも恵まれ、自立した環境が居心地良く感じられた。しかし、自分のプレーがまったく通用しないことを思い知らされる。大学バスケはレベルが高かった。
「高校でさぼっていた分のツケが回ってきたと思いました。得点できない、ディフェンスもできない、フィジカルの面でまったく歯が立たない。マイナス思考でプレーしていましたね」
そして入学して早々の6月にHCの落合氏が仙台89ERSと契約し、白鴎大学を去ることになった。アシスタントコーチを務めていた網野友雄氏がHCに就任。自分のプレーにまったく手応えを感じていない小室だったが、入学後から常にAチームに帯同していた。光るものがあったのだ。3年生になるとシックスマンとしてインカレで3位の結果を残すなど徐々に頭角を現したが、それでも手応えを感じることができなかった。