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呆れられた「箱根駅伝を中継しましょう」 TVマンも繋いだ襷、他局の温情で実現した日テレの箱根

NHKの温情で実現した中継「あの時、もし中継車が用意できなければ…」

 放送が決まっても、問題は山積していた。1つは移動中継車の数。関東学連と警察との間で伴走車両の数は契約で細かく決められており、中継車はNHKラジオ用の3台に限られていた。もちろん、新たにテレビ中継するからといって増やすことはできない。

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 坂田氏は、箱根駅伝のラジオ放送を担当していたNHKの杉山茂氏を訪ねた。「3台のうち2台をくれませんかとお願いした。その代わり、映像はすべてNHKに差し上げますと」。NHKが快諾してくれたため無事に放送できたが「あの時、もし中継車が用意できなければ、箱根の放送はできなかった」と坂田氏は述懐した。

 中継車だけではない。「杉山さんは箱根中継の恩人なんですよ」。駅伝中継を目指していた日本テレビだが、ロードレース中継の経験が乏しかった。80年モスクワ五輪直前、瀬古や宗兄弟出場予定の北海道タイムスマラソンの放送権を手に入れたが、マラソン中継のノウハウがない。そこで実績のあるNHKに指導を仰いだ。「杉山さんにお願いした。それがその後のマラソン中継、駅伝中継につながった」と坂田氏は感謝した。

 杉山氏は「恩人なんてとんでもない」と笑いながらも「みんな箱根駅伝が好き。選手や監督はもちろん、家族やファン、新聞もテレビも。その魅力があったからこそ、これだけの大会になったのでしょう」。駅伝同様、テレビマンたちによる中継のタスキも受け継がれていった。

(第3回に続く)

(荻島 弘一 / Hirokazu Ogishima)

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荻島 弘一

1960年生まれ。大学卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ部記者としてサッカーや水泳、柔道など五輪競技を担当。同部デスク、出版社編集長を経て、06年から編集委員として現場に復帰する。山下・斉藤時代の柔道から五輪新競技のブレイキンまで、昭和、平成、令和と長年に渡って幅広くスポーツの現場を取材した。

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