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国立大で「柔道が好き」と思えた 30歳角田夏実、パリ五輪内定に導いた出会いと“4kg減”の決断

世界選手権3連覇も「次に負けたら本当に終わり」

 その時、角田は1つの決断を下した。それまで戦ってきた52キロ級から48キロ級への階級変更だった。

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「自分はもう置いていかれたなと思って、オリンピックを考えた時、48キロ級なら可能性があるんじゃないかと」

 2019年11月の講道館杯から本格的に48キロ級に移り優勝。以降48キロ級を主戦場としたが、実績を積み重ねるには時間がなかった。2020年2月、東京五輪代表が発表された。その後、角田は補欠に選出される。

「東京五輪で引退しようと思っていました」

 その気持ちに変化を起こしたのは、東京五輪に先立ち開催された6月の世界選手権だった。五輪代表組が出場しないなか、48キロ級の代表として出場し優勝を果たす。

「これで辞めちゃうのもなって思って、できるところまで頑張ろうと思いました」

 以降、世界選手権3連覇を果たし、世界ランキングでも堂々1位に立った。

「覚悟を決めた、というのではないですけど、次に負けたら本当に終わりだろうなというか、若手もたくさんいるので負けたら自分が戻ってこれないだろうなという思いでいます」

 キャリアを振り返って、改めて角田は言う。

「大学の時、王道の背負い投げとかもあまりやらないし、本当に自分のやり方を否定されなかったから、自分らしいというか、やりたいことができたのと、自分が好きって思えたのが大きかったと思います」

 それが今日までの柔道人生の支えとなった。やらされるのではなく自ら取り組むようになり、時に苦しくとも消耗し切ることなく、30歳の現在に至るまで上昇曲線を描けた。

 そして今なお、角田は独自の柔道スタイルを貫いている。

(中編へ続く)

■角田 夏実(つのだ・なつみ)

 1992年8月6日生まれ。千葉県出身。小学2年から父親の影響で柔道を始めると、八千代高を経て東京学芸大に進学。大学で寝技の技術に磨きをかけると、2013年の学生体重別選手権で自身初の全国優勝を果たす。了徳寺大学(現・SBC湘南美容クリニック)に進み16年のグランドスラム・東京大会で優勝。19年に52キロ級から48キロ級に階級を変更すると快進撃が始まり、21年世界選手権から日本の女子選手として史上3人目となる3連覇を達成。6月29日に2024年パリ五輪代表への内定が発表された。

(松原 孝臣 / Takaomi Matsubara)

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松原 孝臣

1967年生まれ。早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経てフリーライターに。その後スポーツ総合誌「Number」の編集に10年携わり、再びフリーとなってノンフィクションなど幅広い分野で執筆している。スポーツでは主に五輪競技を中心に追い、夏季は2004年アテネ大会以降、冬季は2002年ソルトレークシティ大会から現地で取材。著書に『高齢者は社会資源だ』(ハリウコミュニケーションズ)、『フライングガールズ―高梨沙羅と女子ジャンプの挑戦―』(文藝春秋)、『メダリストに学ぶ前人未到の結果を出す力』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。

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