日本やり投げ界の歴史を変えた北口榛花 今だから笑える「満遍なく辛かった」原石の重圧【世界陸上】
期待を乗り越えて手にしたメダルも「“私だから”できることじゃない」
五輪後は約3か月、運動を制限された。コロナ禍では日本で一人きりの練習が主だったが、今大会までは渡欧してコーチに直接指導を受けられた。ハイレベルな選手が多数いる環境。「トレーニングの間に励ましの声をもらえるのはありがたい。練習でのベストに繋がっている」。質、量とも世界トップレベルを体感した。
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今年6月のダイヤモンド・リーグ(パリ)で日本人初優勝。出場するだけでも簡単ではなく、年間でトップ選手が多く集う舞台で結果を残した。またも期待は高まっていく。今大会、選手村に入れば他国の選手から必ず挨拶や祝福を受けた。「周りの変化はあったけど、ダイヤモンド・リーグはあくまでも一つの試合。何も凄いことをしていないので、世界的にはチャレンジャー」。自分に言い聞かせた。
予選前日の記者会見。目標も、あえて「入賞」しか口にしなかった。
「今大会はずっと入賞を目標にやってきた。周りの方々はメダルとか凄く高い目標を言ってくださるけど、自分の中では淡々と入賞を目標にやっていきたい。正直、自分の中でもメダルと言うか、入賞というか迷いはある。けど、長い競技人生を見据えてステップアップしていきたい」
来年8月のブダペスト大会でメダル、24年パリ五輪以降に金メダルを獲る計画。まだ24歳。自分の未来は自分で描きたかった。冷静さが功を奏し、6センチ差で予選落ちした前回大会の無念を晴らす投てき。11年テグ大会8位だった海老原有希を超える日本人最高位まで掴みとった。
ここまでの歩みを振り返り、「まんべんなくつらかったです。アハハハ!!」と笑い飛ばす。サニブラウン・ハキーム、橋岡優輝らと同じ日本陸連の有望若手育成プログラム「ダイヤモンドアスリート」出身。原石として、10代から海外転戦のサポートを受けたが、代わりに責任や期待が付きまとった。
「大学2年生くらいからは自分が世界にいかなくちゃいけないという思いと、自分自身の投てきがなかなかうまくかみ合わなかった。不安だった」
日本人女子がパワー系の種目で世界と戦う価値は計り知れない。しかし、重みを問われた本人は強調した。
「これを続けることが大事ですし、自分がやっていることは“私だから”できることじゃない。みんなができることだって思っています、日本のやり投げの選手たちがみんなで頑張っていけたらいいなって。ここが私のゴールじゃない。金を目指したい。同じようにメダルを獲り続けて、最終的には一番良い色のメダルを獲れるように」
今後は帰国せず海外を転戦予定。やっとの思いで手にしたメダルは、実際に重いのか。首から提げた勲章を手に取り「軽いです!」。愛嬌たっぷりに笑っていた。
(THE ANSWER編集部・浜田 洋平 / Yohei Hamada)