摂食障害を克服して日本記録 陸上・寺田明日香の大切な言葉「逃げることは悪くない」
10年経って振り返る要因「自分と周りの理想像を考えすぎていた」
10年ほど経ち、摂食障害に至った要因を振り返ってもらった。若かった当時の自分が客観的に見えてくる。
「周りとコミュニケーションをうまく取れなかったのもあるし、自分の理想像と周りが期待する自分の理想像を考えすぎていた。自分の中に『寺田明日香』の像があって、弱い部分を他人に見せたくなかったし、できるだけ人に頼りたくなかった。何でも自分で解決しよう、完璧にこなそうという思いが強かったのは、かなり大きな要因だったと思います」
完璧主義な一面があり、SOSを出せなかった。引退後は北海道で実家暮らし。摂食障害にならないためには、なった時にはどうしたらいいのか。ここから寺田が送った3か月間の生活に一つのヒントが示されている。
「プツっと糸が切れた状態だったので、私自身は特に大きなことは意識していませんでした。母も心配しすぎず、いい距離感で普通に接してくれた。『食べたかったら食べな』『食べたくなかったら食べなくていいよ』と。干渉されすぎると『やらなきゃ。やらなきゃ』と思ってしまうので、距離感が凄くありがたかった。そのうち、お腹が空く感覚も戻り、食べても大丈夫だと思えるようになっていきました」
親だからこそ、つらい姿をする我が子に口出ししたくなるもの。それでも、母はそっと見守ってくれた。小学生の時、陸上を始めて1年間はコーチをしてもらったが、陸上クラブに入部後は干渉されず。「信頼してもらえている感じがよかった。母はある程度見つつ、『あとは上手にやりなさい』という感じの性格」と適度な放任主義に感謝している。
普通にごはんを食べることから始め、レディースクリニックにも通った。半年ほど止まっていた生理も、薬の服用もあって戻ってきた。
今では「チームあすか」を結成し、東京五輪決勝の舞台を目指して戦っている。コーチ、トレーナー、栄養士、針治療担当、理学療法士、歯科矯正、メンタルケア、運営など多岐にわたるスタッフたち。マネージャーの夫、そして何より欠かせないのが「応援団長」の一人娘だ。
10年前、誰にも頼りたくなかった自分は今、仲間に絶大な信頼を寄せている。
「何の利害関係もなく、本気で何かに取り組める関係ってあるんだなって。そう思えてから、周りにいろんなことを言えるようになった。(競技を離れた時期に)仕事をしたり、大学に通ったり、多くの人と協力して何かを作り上げる経験をした。ラグビーもそうです。自分の足りない部分を誰かに補ってもらい、誰かの足りない部分を自分が補えるって凄くいいこと。その経験が大きいと思います」
女子アスリートが結婚、出産を経ても競技復帰できるようなスポーツ界を願い、自身がロールモデルになろうと取り組んでいる。若い選手と一緒に練習する機会も多い。悩み相談を受ければ「一つの考えとして聞いてね」と参考意見を伝えている。